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いつか観た映画・岡本喜八監督『江分利満氏の優雅な生活』(山口瞳原作、1963年)

2018年に大林宣彦監督にインタビューしたとき、
「敗戦後の日本映画で1本あげろと言ったら、岡本喜八監督の映画「江分利満氏の優雅な生活」(1963年)を1本あげるだけで十分だ」
と語っていたのが印象的だった。
原作者の山口瞳は東京の国立市に住んでいて、高校時代、親友の小林と、山口瞳の家を自転車で探しに行ったことがある。あとで知ったことだが、私も高校時代に通った「ロージナ茶房」が、山口瞳の行きつけの店だったという。
山口瞳は、もともとサントリーの社員で、コピーライターとして活躍した。「トリスを飲んでハワイに行こう」は、山口瞳の作ったキャッチコピーである。
サラリーマンをやっているときに、『婦人画報』という雑誌に、サラリーマンの生態を描いた小説「江分利満氏の優雅な生活」を連載し、やがてそれが直木賞受賞作となった。いわば山口瞳の、身辺雑記的な小説である。
岡本喜八監督は、時代を何歩も先取りするような斬新な映像表現を用いて、この身辺雑記的随想映画を完成させたのである。
ほんと、いま見ても、映像表現は斬新である。
それに対して、中身はいたって地味である。なにしろ、昭和30年代当時のサラリーマンの生態を描いた映画なのだから。
山口瞳の分身ともいうべき江分利満氏を、小林桂樹が演じている。
小林桂樹は、『日本沈没』の田所博士のような頑固で信念を貫き通す役にも定評があるが、江分利満氏のように飄々とした役も得意とする。これほど演技の幅が広い役者を、私は知らない。
江分利満氏は、いたって平凡な、昭和30年代の典型的なサラリーマンである。人間関係に悩み、コンプレックスを持ち、だらしなく、凡庸である。
映画は、小林桂樹演じる江分利満氏の、日常のぼやきともいえるナレーションが延々と続く。それは時に軽妙であり、時に重苦しい。
私が印象に残ったのは、映画の中の、こんなぼやきである。

「昭和二十五年十月、長男庄助が生まれた。
母のみよにお父さんになったのよと江分利は言われた。
庄助が八か月になった時、初めて銀座のレストランに入った。
(俺はこいつを食わさなきゃなれらないんだ。俺は自殺なんか考えちゃいけないんだ)
昭和二十六年の秋、夏子が奇妙な発作を起こした。病名テタニン。鶏に多い病気だった。その後半年間、こういう発作が週に一度起こった。庄助は小児喘息になった。それから十年間、よいというものは何でもやったが、庄助の喘息は治らなかった」

「江分利は口笛が吹けない。
靴ひもがうまく結べない。
音痴である。
鎌倉時代と室町時代がどっちが先がわからない。
富山と島根が隣り合わせだと思っている。
サントリーの宣伝部員のくせに写真を一度も撮ったことがない。
いつ聞いてもテープレコーダーの操作がわからない。
これで宣伝部なんて派手な商売が勤まるのかねえ。勤まらないけど勤めているんだ。勤められるのは組合制度のお蔭だと思う。
しかし江分利はなんとかやっていかなければならないのである。
江分利が発作の夏子と喘息の庄助をかかえて生きていけば、これは壮挙ではないか!
才能がある人間が生きるなんて大したことじゃないんだよ。宮本武蔵なんてちっとも偉くねえ。本当に偉いのは一生懸命生きてる奴だよ。江分利みたいな奴だよ」

とくに最後の、
「才能がある人間が生きるなんて大したことじゃないんだよ。宮本武蔵なんてちっとも偉くねえ。本当に偉いのは一生懸命生きてる奴だよ。江分利みたいな奴だよ」
は、グッとくる。
これはまさに、山口瞳自身の、そして岡本喜八自身の、人間に対するまなざしであり、共感である。
さまざまな事情を抱えながら、それでも何とか生きてゆけるならば、それは壮挙ではないか!

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