忘れ得ぬ人々・第14回「懐かしい名前」

Facebookに「知り合いかも」という表示が出てくることがあるでしょう?そこに懐かしい名前を見つけた。その名前を見たとたん、思い出がよみがえってきた。

東日本大震災の年(2011年)の8月のことである。
当時勤めていた職場の研究室にいると、お昼過ぎ、携帯電話が鳴った。
「2004年に卒業したSといいます。覚えていらっしゃいますでしょうか」
「おぅ!S君。覚えてるよ」
「実はいま、生徒たちを連れて、この大学に見学に来ているんです。先生、いまの時間はお忙しいですか?」
「2時までなら大丈夫だよ」
「そうですか。研究室にうかがってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「そうですか、じゃあ、すぐにうかがいます」
S君は、私がこの職場に移ってから最初の卒論指導学生である。この学年は4人ほど受け持ったが、卒業してからは、そのうちの誰とも会ったことはなかった。
ほどなくしてS君が研究室にやってきた。会うのは7年ぶりくらいである。
「お久しぶりです。先生」
「久しぶりだなあ」
大学時代、ロックバンドをしていたS君だったが、髪も黒く、黒縁の眼鏡をかけて、スーツを着ている。県内の高校で教師をしているS君に、大学時代のラフなスタイルの面影がないことに、少しばかり時の流れを感じた。
「大学、けっこう変わりましたね」とS君。「でも先生の研究室は、ちっとも変わっていない」
「あいかわらず散らかっているだろう」
いまは連れてきた生徒たちの自由時間だというので、椅子に座ってしばらく話をすることにした。
「大学時代、もっと勉強すればよかったなあって、後悔しているんです」
椅子に座るなり、S君は言った。
いまだから書けるが、S君は同期の中で、いちばん卒論の出来が悪く、最後まで私を手こずらせた。卒論発表会の席で、私は彼に、かなりきつい質問を浴びせた記憶がある。S君は私の質問に答えることができず黙り込んでしまい、ちょっと言いすぎてしまったかなと、後々までそのことが、心に引っかかっていた。
だがS君は、卒業後に同じ県内の高校の教師となって、大学時代に専攻していた分野を教えているというのだから、人生というのは、本当にわからない。
「誰だって卒業したら、そう思うものだよ。私だって大学時代、ほとんど授業に出てなかったし」と私。大学時代、授業にほとんど出なかったのは、本当の話である。
「オレ、授業をやるたびに、自分はなんてダメなんだろうって思うんです。こんなことしか教えられない、とか、オレみたいな人間が生徒に教える資格なんかあるんだろうか、とか」
「授業をやると、自分の不十分さが身に染みてわかるだろう。私だって、毎回そう思っているよ。毎回授業が終わったあとは、軽く死にたい気持ちになるもの」
「先生もそうですか」S君は笑った。
「そうだよ。でも、そう思っているくらいがちょうどいい。ヘンに根拠のない自信を持つようになったら、それこそ終わりだ」
「オレ、…本当は先生に電話しようかどうしようか迷ったんです」
「どうして?」
「いまのオレは、先生に合わす顔がないんじゃないか、って」
「……」
「でも、思いきって来てみてよかったです。今度は先生のお時間のあるときにまたおうかがいして、じっくりお話ししたいです」
「いつでも待っているよ」
次の予定があるというので、S君は研究室を出た。
それ以来、S君には会っていない。

「知り合いかも」で見つけた名前は、紛れもなくS君の名前だった。最後に会ってから13年も経つのに、どうして「知り合いかも」と表示されたのかはわからない。
S君はFacebookの記事を「すべての人に公開する」設定にしていていた。それを見ると、彼はいまも高校の先生をしていて、誕生日にはたくさんの生徒たちからサプライズなプレゼントをもらい、生徒に大人気の教師である様子がうかがえた。
彼が大学時代に打ち込んでいたロックバンドも続けていて、高校の教師を続けるかたわら、地元で多くの仲間と定期的にライブを行っていることも知った。その様子は実に生き生きとしていた。
13年前、私に不安を訴えていた彼が、いまではだれからも慕われる充実した教師生活を送っている。これほど感慨深いことがあるだろうか。
彼がFacebookを「すべての人に公開する」設定にしている理由も、なんとなく想像できた。彼は、自分がこれまで教えてきた生徒たちからいつアクセスがあってもいいように、常に門を開いているのだ、と。それは、教師としての自信の証であるようにも思えた。

私はS君に友達申請をしようかと一瞬思ったが、もともと私は自分から友達申請をしないことにしているし、何より私のことなど忘れてしまっているだろう。それにS君にとってFacebookは自分のこれまでの教え子たちとの大切なコミュニケーションツールなのだから、邪魔をしてはいけない。
S君が教師を楽しく続けていることがわかっただけで十分である。これも人生の伏線回収だ。


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