忘れ得ぬ人々・第1回「大垣夜行での偶然」(前編)
TBSラジオの「東京ポッド許可局」という番組の中で、「忘れ得ぬ人々」というコーナーがある。その趣旨は、次のようなものである。
「ふとしたとき、どうしているのかな?と気になってしまう。自分の中に爪跡を残している。でも、連絡をとったり会おうとは思わない。そんな、あなたの「忘れ得ぬ人」を送ってもらっています」
ある回では、「青春18きっぷで北海道を旅したときに親切にしてくれたキヨスクの店員さん」についてのエピソードが紹介されていた。
「青春18きっぷ」、懐かしい響きである。その響きから、私の記憶の扉が開いた。
大学に入学して間もない頃だったと思う。いまから30年以上前。
季節は忘れたが、大学の長期休業期間を利用して、高校時代の親友・小林と、青春18キップで、西日本を一周する旅に出た。
「青春18きっぷ」といえば、「大垣夜行」。東京から東海道線の普通列車に乗って、岐阜県の大垣まで行く夜行電車がある。青春18きっぷを使って関西に行くときには、東京を午前0時より少し前に発車するこの電車が必ずといっていいほど利用された。
私たちもご多分に漏れず、この「大垣夜行」に乗り込んだ。「大垣夜行」は、ほんとうの普通列車で、2人ずつが対面する、いわゆる4人一組のボックスシートに座らなければならない。座り心地は、決していいものではない。
私と小林がある席に座ると、対面の座席に座った女性が「あら」と声を上げた。小林はびっくりした顔をしている。
その女性は、小林が通っている大学の、しかも同じサークル(ジャズ研)の先輩らしい。そりゃあ、びっくりするはずである。まさか、満席に近い電車の中で、知り合いがいるなんて思ってもみなかっただろうから。
しかし、「旅は道連れ世は情け」とはよくいったもので、ここで会うのも何かの縁。長い鉄道旅の道中、とくにやることもないので、小林とその女性の先輩は四方山話をし始めた。初対面の私も、やがてその会話に参加した。
その女性の先輩は、じつにサバサバした方で、とにかく話題が面白くて話が尽きない。私も、女性とお喋りする機会なんてほとんどなかったから、つい調子に乗って話し始めた。ま、青春18切符を買って1人旅をするくらいだから、私らみたいな人間と話をするのも、苦にならなかったのだろう。
なぜ、その女性の先輩が、1人で大垣夜行に乗っていたのか、よく覚えていないが、たしか故郷が九州、それも福岡だったと聞いたので、ひょっとしたら九州に帰省するために「大垣夜行」に乗ったのかも知れない。
なぜ、故郷が福岡だということを覚えているかというと、いろいろと話しているうちに、その先輩の高校時代の担任の先生の名前が、私が知っている先生だったからである。正確に言えば、私はある雑誌で、その先生の文章を読んだことがあり、その先生の居住地が福岡だったのだ。そして、その先生がめったに聞かない珍しい苗字だったので、私はその先生の名前を覚えていたのである。
「よく知ってるわね。変わった先生だったよ」
「そうでしょうね。文章からわかります」
人間、話してみるもんだ。どこでどんなつながりがあるかわからない。そんなこんなで、時間を忘れて3人で話し込んだ。
そうこうしているうちに終点の大垣駅に着いた。そのあと、すぐに別の普通電車に乗り換えるのだが、そこから先の旅はもう、記憶が茫洋としている。
しかし、大垣夜行のボックスシートで、3人で話し込んだことだけは、よく覚えている。あのようなサバサバした性格で、初対面の私にも気軽に話しかけてくれた人だから、いまでもどこかで持ち前のコミュニケーション能力を生かして活躍していることだろう。もちろん、名前も連絡先もわからない。それ以来会うことはなかったし、これからも会うことはないだろう。なるほどこれこそが、一期一会の「忘れ得ぬ人」なのだろうと、いまになって思う。
…ところが、このことを思い出してからほどなくして、その人がいまどうしているのかを、知ることとなる(続く)