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いつか観た映画・黒澤明監督『虎の尾を踏む男達』(1945年製作、1952年公開)

以前、歌舞伎に詳しい友人から、
「黒澤明の『虎の尾を踏む男達』の感想を教えてください」
と言われたことがあった。戦争末期の1945年に製作された作品で、歌舞伎の「勧進帳」を題材に映画化したものである。
しかし申し訳ないことに、そのころは黒澤明監督の初期の作品をほとんど観たことがなかった。そこで、観てみることにした。
この映画、「強力」役の「エノケン」こと榎本健一が、かなりキーマンになっている。
エノケンの芝居を見て思ったのは、
「我々の世代でいうところの、加藤茶だな」
ということである。
その表情といい、動きといい、子どものころ見ていた、ドリフターズの加藤茶である。
加藤茶こそが、エノケンの芝居を正統に受け継ぐコメディアンだったのではないか。
加藤茶は、同じドリフターズの志村けんと比較されることが多いが、志村けんはどちらかというと作家性が強く、「笑いの身体性」という面では、志村けんよりも加藤茶の方が断然面白いと、私は思うのだ。
だからドリフのコントでも、加藤茶が「ボケ」で、志村けんが「ツッコミ」にまわったコントが、格段に面白い。それはまるで、全盛期のコント55号を見ているがごとくである。というより、二人はコント55号を意識していたに違いない。

…話が横道にそれた。
「勧進帳」の内容を簡単に書くと、頼朝と対立し、弁慶らとともに都から北陸へと逃れた義経一行が、山伏の姿で加賀国の関所にさしかかったとき、関守の富樫左衛門にその正体を見破られそうになるが、弁慶の機転で関所を通り抜けることができた、というお話。
なかでもよく知られているのは、関守の富樫に対して、自分たちが正真正銘の山伏であることを示すために、弁慶が手近にあった白紙の巻物をとりだし、これを「勧進帳」であるとして朗々と読み上げる場面である。
赤塚不二夫さんの告別式でタモリさんが、白紙の弔辞をあたかも書いてあるかのように読み上げたことは記憶に新しいが、まさしくこれは、現代の「勧進帳」である。

…また話が横道にそれた。
黒澤明監督は、「敵中を突破する」という話が好きだったのではないだろうか。
黒澤監督の初期の脚本に、「敵中横断三百里」というものがあり(これは後年、森一生監督により映画化された)、また自身が監督した作品に、「隠し砦の三悪人」という超一級の娯楽作品がある。これらはいずれも、敵中を突破するという、ただその一点が、テーマになっている。
山本周五郎原作の小説を映画化した「椿三十郎」も、「敵中突破もの」と言えなくもない。
まぼろしの映画となってしまった「暴走機関車」は、厳密には「敵中突破もの」とはいえないが、ノンストップ暴走アクション映画という意味では、「突破もの」である。
黒澤明監督は、「敵中突破もの」においてこそ、たぐいまれなる娯楽性を発揮しえたのではないだろうか。
そしてその原点が、歌舞伎の「勧進帳」を映画化した「虎の尾を踏む男達」だったのではないだろうか。
…というのが、例によって私の妄想的仮説である。

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