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いつか観た映画·タナダユキ監督『浜の朝日の嘘つきどもと』(2021年)

2022年3月16日、福島県沖で最大震度6強を観測する地震が起こった。その日私は、震源地に近い福島県南相馬市のホテルに宿泊することになっていた。
地震が起こる数時間前。
ホテルのフロントでチェクインの手続きをしていると、フロントの後ろの壁に、何人かの芸能人のサイン色紙が並んでいることに気づいた。もうひとつ気づいたのは、どのサインも、同じ日付が書いてあるということだった。ということは、それぞれの俳優がバラバラに来たわけではなく、同じ日に来たのだな。
私は、そのことが無性に気になった。その日に、俳優がいっぺんに来て、何があったのだろう?
チェックインの手続きが終わったあと、どうしても気になったので、聞いてみた。
「あのう、…つかぬことをおうかがいしますが、後ろのサイン…」
そういうと、ホテルのフロント係の人が、後ろを振り返った。
「みんな同じ日付ですよね。その日に何かイベントでもあったのですか?」
「ああ、これですね」
といって、私から向かって左側にある柱を指さした。
「あれです」
柱を見ると、ポスターが貼ってあった。映画のポスターである。
「この町で、映画のロケが行われたんですよ。そのときに泊まっていただいて、サインをもらったんです」
タイトルを見ると、『浜の朝日の嘘つきどもと』とある。
ポスターには、「ASAHIZA」と看板のある古びた建物の前で、高畑充希さんと、柳家喬太郎師匠と、大久保佳代子さんの3人が写っている。
「朝日座は、この町にある実際の映画館です」「そうなんですか」
この町の古びた映画館を舞台にした映画らしい。大林宣彦監督がいうところの「古里(ふるさと)映画」である。
私の質問に触発されたのか、フロント係の人は、この映画についてひとしきり紹介してくれた。
「なるほど、それはぜひ見なければなりませんね」
「ぜひ見てください」
私は、南相馬市が2011年3月11日の東日本震災とそれにともなう原発事故の被害に遭う10年ほど前から、仕事で深く関わっている。震災後もこうして、引き続き仕事をさせてもらっている。
袖すり合うも多生の縁、これは私が見なければいけない映画なのだと直感し、DVDを入手して見ることにした。
どの俳優もすばらしいが、とりわけ出色なのは、大久保佳代子さんである。主人公の高畑充希さんを、映画の世界に引きずり込んだ高校教師の役。大久保佳代子さんがいなければ、この映画はもたなかったかもしれない。
高校のとき、ああいう雰囲気の先生いたな。そう、現代文の先生があんな雰囲気の先生だった、と思わせる演技だった。
物語の序盤の方で、大久保佳代子さん扮する高校教師が、高畑充希さん扮する生徒に、映画のフィルムの話をするのだが、それが、こんな台詞である。

「映画の投影装置は、映像を素早く取り替えてスクリーンに映し出すために、フィルムと映写レンズとの間にシャッターがあって、1秒間に24回、スクリーンを闇にしている。時間にして「4/9秒」。つまり一秒の半分近くが闇。私たちは、映画館で半分暗闇を見ているのよ」

これはまさに、大林宣彦監督が『4/9の言葉』(創拓社出版、1996年)という本で述べていることそのものではないか!と驚いた。「映画の約半分は闇であり、それは文章でいえば行間にあたる」と、たしかそんな内容だった。私はその映画哲学をずっと胸に抱き、公刊された私のエッセイにもそのことを書いたことがある。
それがもちろん、映画人にとっては常識に属することなのだろうけれど、それを言語化したという意味では、両者を関係づけないわけにはいかない。
そう考えてみると、この映画は、古きよき映画館を愛した大林宣彦監督への、アンサー映画ではないか、という気がしてきた。
震災後の大林監督の映画には、南相馬市の名前が2度ほど登場する。ひとつは、『この空の花 長岡花火物語』(2012)である。この映画の中では、原発事故のためにこの町から長岡に引っ越してきた高校生が登場する。もうひとつは、『野のなななのか』(2014年)。台詞の中でこの町の名前が登場していた。
大林監督は、いつかこの町を舞台に、映画を撮りたかったのではないだろうか。しかも、「映画館愛」にあふれた映画を、である。
それに応えたのが、この映画ではなかったのかと、僕は勝手に想像している。まったく的はずれかもしれないけれど。

*『浜の朝日と嘘つきどもと』は、もとは2020年に放送された福島中央テレビ制作のテレビドラマであるが、映画版はその前日談として制作されたものという。私はテレビドラマは未見である。


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