忘れ得ぬ人々・第16回「ワカバヤシ先生」
前回の「回想・表彰式エレジー」に登場した中3の時の国語の先生は、一読すると「いいかげんな先生」とも読みとれるかもしれないが、先生の名誉のために言っておくと、私が中学時代に最も尊敬していた恩師である。中1と中3の時の担任の先生で、その名をワカバヤシ先生という。背が高く、ひょろっとして、髭の濃い先生だった。
先生は、大学を卒業して、教員免許を取得して最初に赴任したのが、私の中学校だった。しかも初めて受け持ったのが、私のクラス、1年C組だった。ワカバヤシ先生にとって、私たちは初めて受け持つ生徒たちだった。
うちの中学校は当時とても荒れていて、とんでもない中学に来たものだ、と思ったことだろう。
だが当時は、そんな様子を見せないほど、落ち着いた先生だった。
今思えば、聞き分けのない中学生たちとどう接してよいのか、試行錯誤の連続だったのだろうと思う。
自分で言うのもヘンな話だが、私は国語の成績がとてもよかった。
ワカバヤシ先生はそれを意識してか、定期試験の問題の中で、わざと難しい問題を出すことがあった。私も解けないような問題である。
だが、中3のときのことである。
定期試験の答案用紙が一人一人に返された。
私の名前が呼ばれ、教壇のところに行く。
するとワカバヤシ先生が、私の答案用紙を眺めながら言った。
「お前にだけは、100点を取られたくなかった」
そう言って、私に答案用紙を渡した。
そのときの、ワカバヤシ先生の顔は、今でも忘れていない。
私は、ワカバヤシ先生の出した難問を、そのとき初めて完璧に解いたのである。
…これは、いまでも時折思い出す自慢話である。
それから32年後。2015年のことである。
久しぶりに実家に帰ったら、母が言った。
「ワカバヤシ先生、九中に戻ったんだってよ」
九中、というのは、私の母校である。
ワカバヤシ先生はあちこちの中学に転勤して、定年間際になって、最初に赴任した中学校に戻ったのである。
「今でも国語を教えてるんだね」
「そうみたいよ。あんたの1級下で、いま郵便局長やってる○○さんって、覚えてる?」
「さあ」
「向こうはあんたのこと覚えてるみたいよ。その娘さんがいま、九中に通っているんだって」
「へえ」
「娘さんがいま、ワカバヤシ先生に国語を習っていてね。定期試験を受けたら、とても難しかったんだって」
「相変わらずいまでも難しい問題を出してるんだ」
「で、その娘さんがワカバヤシ先生に、『先生、先生の国語の問題、難しすぎるよ!』って、文句を言ったんだって。そうしたらワカバヤシ先生、何て言ったと思う?」
「さあ」
「『むかし、最初にこの中学に赴任したとき、三上君というのがいてな。その三上君が、この問題を完璧に解いたんだぞ』って言われたんだって」
「……」
「でもその娘さん、あんたのことなんかわからないでしょ。家に帰って、お父さんに『三上君って、誰?』って聞いたら、『お父さんの1年先輩の人だよ』って答えたんだって」
「……」
私はちょっと感動した。だって、もう32年も前の話である。
32年も前の生徒のことを、まだ覚えていてくれたんだ…。
というか、あの難しい問題は、私が解いて以来32年間、ほかの誰も正解していないのか???
ワカバヤシ先生がいまだに私の名前を覚えてくれたことに、感謝した。
ワカバヤシ先生とは、中学校を卒業して以来、一度もお会いしていない。
そして、母の話から10年近く経ってしまった。もう先生はとっくに定年退職してしまったはずである。いまはどうしていらっしゃるのだろう。
先生が定年退職される前に、中学校に訪ねていって会っておくべきだった。