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読書メモ·中村哲『中村哲 思索と行動 「ペシャワール会報」現地報告集成 上巻1983~2001』(ペシャワール会に発行、忘羊社発売、2023年)

医師·中村哲さんのパキスタンやアフガニスタンでの医療活動について長年取材された谷津賢二監督のドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす』を観て以来、私は中村哲医師の活動にすっかり心酔し、中村哲さんの著作をできるだけ入手し、それらを読破するという誓いを立てた。しかし実際にはなかなか進んでいない。なかでもいちばん読んでみたかったのは、中村さんが、その支援団体であるペシャワール会の会報に寄せていた文章を集成した『中村哲 思索と行動』と題する本だった。中村さんの活動が時系列で追える、上下2巻、2段組みの浩瀚な本である。入手したはいいがその分量がちょっと手に負えないかもしれないと思い、読むのに二の足を踏んでいた。だが入院して体調も回復しつつあるなかで時間ができたので、この機会に読んでみようと思ったのである。それでも上巻しか読むことができなかった。

一読してあらためて驚いた。政情不安や物資不足やインフレ、さらには衛生上の問題など、ありとあらゆる外的な要因で苦しめられている地域で、中村さんは1984年以降、現地スタッフとも粘り強く信頼関係を築きながら、不屈の精神でハンセン病治療に黙々とあたる。支援団体となるペシャワール会には、自分が今どんなことをしているかを逐一報告し、年度ごとに事業報告書や事業計画書も提出している。日常の業務に忙殺されている中村さんが、毎号ほぼ欠かすことなく活動報告を寄せているのは驚異的である。それも決しておざなりなものではなく、拡張高い名文といえるものなのだ。

活動報告の中で印象的なのは、中村さんの現地で考えたことが率直に述べられている部分である。そこには、高尚な議論や高邁な理想とは一線を画し、ただ目の前にある現実に向き合い、黙々と医療活動を続ける中村哲さんの信念が浮かび上がってくる。以下、印象的な言葉を拾ってみる。

「もはや、組織同士の対立や小さな病院とのいざこざ等はどうでもよいささいな問題だった。実態を知れば知るほど実のない各組織の宣伝や、紙の上の業績の誇示が空しいものに思われた。最大の難関は、この土地の人々そのものとその苦難であることを、このアフガン人のための活動を通じて知った」(94頁)

「それでもなお…と言えるものは何なのであろう。パキスタン人とアフガン人とが対立して殺気だち、病院と患者とが対立し、スタッフ同士がいがみあい、患者同士が妬みあう。金と力とがわがもの顔で横行するこの極端な社会の中で、われわれの使命は単に小さな、何かの明りを守り続けること以上のものでないことを身を以て感じた。しかし、この何かの明りこそ、日本でもペシャワールでも同様に人の心を暖かくする共通のものであった、と私は信じている」(同頁)

中村さんは美談や大言壮語を好まない。自分に課された使命は目の前の患者を救うことであり、その点は決してぶれないという決意が示される。そう決意すると、うわべだけの活動が透けて見えてきて、我慢ならなくなる。批判の対象はそこに向かうことになる。

「単に紙の上の業績を誇示して名声を求める者、安価な冒険譚を作るのに熱心な日本人、医療行為をビジネスや思想、宗教の宣伝に用いる者、事を斜めからみて批評ばかりする者、これらの人々とは一線を画し、干渉に対しては常に挑戦的な態度で臨んできた。
ジャーナリズムも大方は一線を画した部類に入る。わずかな情報からいきなり天下国家を論じ、この内線で派手な政治的な動きや軍事行動の陰にいかに多くの人々の苦悩が隠されているかに本当に関心がむけられていたとは思えない」(104頁)

「批判を覚悟で言えば、日本が抱く大抵の悩みは全地球的な規模からすればぜいたくな悩みです。日本は金をもてあまして、ふらふらしているのに、日本列島の住民は、相変わらずゆとりなく、密室の客船(三上注:日本列島の比喩)の中でガサガサしたり、逆に虚無的になったりします。危機的テーマであるはずの「国際化」も、ビジネスやお祭りに転化しています。楽しい国際交流が悪いとは言いません。私が叫びたいのは、「国際化」もまた、自国向けのショーで終わるという危険な傾向があることです」(126頁)

「きらびやかで喧しい割に中身のない過剰包装時代、汗水流して働くことを厭う一億総貴族時代、カネと効率主義で頭のいかれた一億総白痴時代、こざかしい評論ばかりで実のない口先時代、タガが弛んでビジョンを失った無気力時代。心理学者が言わずとも、適応障害の一つも起こりましょう」(187頁)

これらはいずれも1987年から1990年にかけての中村さんの言葉である。まるで現在のこの国の社会を言い表しているようではないか。この当時、こういうことを発言できる人がいなかったことを考えると、中村さんの実体験と思索から導き出した予言ではないかとさえ思わせる。思索と行動はやはり車の両輪なのだ。

もう一つ、どうしてもメモしておきたい言葉がある。

「もともと、ペシャワール会には厳密な意味での『組織』はない。事務局も専従は居ず、夫々に職業をもった人々が週に一回集まって事務量をこなしている。熱心な事務局員たちは、何かの思想宗教的背景や『理論』がある訳でもない。夫々が『アジア』に個人的な愛着や人のつながりで参加しており、まとまった理念や思想よりも素朴な感性と連帯意識が動機になっている事が多い。これこそが逆に会の繋がりと継続性を強固なものとし、かつ幅広いものにしている」(201頁)

このくだりを読むと、本当に強い組織とはどういうものなのかについて考えさせられる。

さて下巻では2002年以降の活動が報告が収められている。中村さんの現地での活動も大きな変貌を遂げる。入院中にはとても読み終わりそうになさそうなので、退院してから時間を見つけて少しずつ読んでいくことにする。

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