読書メモ・桑原水菜『遺跡発掘師は笑わない マルロの刀剣』(角川文庫、2024年)
こういう仕事をしていながら、NHKの大河ドラマはほとんど観ない。同業者の中には、描かれる場面が史実と異なったり、その時代に関する研究状況からみて相容れない場面と出くわすと、そこを指摘することで溜飲を下げている人がいるようだが、私はそうしたことがちょっと苦手である。私の関心は、虚構として描かれる歴史の物語がいかに心地よく騙してくれるかという一点に注がれる。
(以下、小説を新鮮な気持ちで楽しみたいという方は読まないでください)。
出張のお供に、桑原水菜さんの西原無量シリーズ最新作『マルロの刀剣』を読んだ。このシリーズは1冊目から欠かさず読んでいるが、相変わらず虚実皮膜の面白さと、古代から江戸時代、アジア・太平洋戦争と、時代をまたぐ壮大なスケールで、今回も大いに楽んで読んだ。実在の人名や地名や固有名詞や歴史上の事実を散りばめつつ、その隙間(と言うべきか)に壮大なファンタジーを仕掛けていく手法は、読んでいて心地よく騙される。
ストーリーの概要を短く紹介できないこともこのシリーズの特徴である。それは何重にもストーリーが展開する著者の筆力によるところが大きい。なのでここでストーリーを追っていくことはしないが、今回のエピソードは戦時中の出来事を軸に展開することだけはおさえておきたい。
この中で、戦時下ゆえに当時報道されなかった1944年(昭和19)の東南海地震のことや、工事のために徴用された朝鮮人の存在などにちゃんと触れてくれたのは、こういう仕事をしている身にとってはうれしいというかありがたいことである。歴史の闇、とまでは言わないまでも、なかなか触れられることのない歴史的事実をちゃんとふまえてくれているところがうれしい。
戦時中の科学技術が米国との交渉材料になることへの言及は、いわゆる細菌部隊の実験データを戦後になって米国にひそかに提供することで免罪を交渉することのメタファーのようにも感じたが、これは私の考えすぎかもしれない。
あと、細かいところでは「発掘屋」とか「文献屋」という言い回しが業界あるあるで、思わず笑ってしまった。とくに発掘担当者は「発掘屋」とか「考古屋」とか「文献屋」などの言い回しが好きなようで、私も「文献屋さん」と呼ばれることがある。さらに細分化されて「旧石器屋さん」とか「縄文屋さん」とか、その人のもともとの専門の時代を冠して言ったりすることも聞いたことがある。「考古屋さん」の習性なのだろうか。
史実を追うのが苦手といいながら、つい史実との関係に言及してしまう自分の矛盾した姿勢には呆れるばかりだが、こんな感想は読まなかったことにしてもらって、ミステリー小説としてめくるめく展開を楽しみながら読むことをおすすめする。なかなか複雑なストーリー展開なので私自身も一度読んだだけでは誤解しているところがあるかも知れないが、新たなキャラクターの登場を含めて次回作も楽しみにしている。