いつか観た映画・『○月○日、区長になる女』(ペヤンヌマキ監督、2024年)
昨年から今年にかけて、政治や選挙に関するドキュメンタリー映画が多い。というより民主主義それ自体を問う映画だ。この国の民主主義がいかに危機的な状況に置かれていることの裏返しであると思う。
この映画も、老舗の小さな映画館で予告編を流していて、観に行きたいと思ったのだが、タイミングが合わず、公開が終わってしまった、と思っていたら、別の小さな映画館で上映されていると聞いて、時間を見つけて観に行くことにした。
前にも書いたが、ひとりで映画を観に行く時間を確保するのは至難の業だ。平日の日中に、ぽっと時間が空いた時に自分が見たい映画が、自分の行ける範囲の劇場で上映されている時を逃さずに見に行く。この映画もそうやって鑑賞にたどり着いた。
舞台となるのは杉並区。私のご近所さんだ。阿佐ヶ谷、西荻窪など、たまに途中下車して駅前の書店に立ち寄るていどだが、映画の中では、杉並区に意外と緑が残っていることが紹介される。とくにスクリーンに登場する善福寺緑地は魅力的で、何にも代えがたい癒やしの空間であるように見えた。
これら杉並区の緑が再開発によって問答無用で奪われてしまうかもしれない、自分が住んでいる阿佐ヶ谷がその対象であることを監督は知り、カメラをまわしはじめる。区政を勉強したらとんでもないことになっていた。何とかしたいと思っていたら、杉並区で新しい区長を求める市民運動をしている団体があることを知り、その運動を取材することにする。そこから事態がまわりはじめる。「ミュニシパリズム」(地域主権主義)を掲げる岸本聡子さんを杉並区の区長選挙に担ぎ出すことになった。
杉並区の外からやってきた区長候補と、長年杉並区に住み杉並区を愛する住民たちとの理想は同じ。だがそのやり方をめぐって両者の間に確執が生まれる。区長候補は「彼らの自己実現のために私は利用されているのではないか」と思い悩む。「要求と政策は違う」という言葉が印象的だ。次々と要求をする住民と、それを受け止める区長候補。しかしそのすべてを一人の人間が受け止めるというのは不可能なことだ。
一筋縄で行かなかった選挙だったのか、とこの映画を観て初めて知る。準備の時間がないなかで、ギリギリの攻防で新しい区長が誕生する。その後の区議会議員選挙でも、新区長を応援した人たちが次々と当選した。しかし前途は多難だ。
劇中で流れていた、区長候補を応援するために住民が作ったオリジナル曲『ミュニシパリズム』がとても素敵だ。ミュニシパリズム、覚えました。