世界の料理ショー
知らない言葉に出くわしてしまったために起こる珍騒動、というモチーフは、落語によく出てくる。「転失気(てんしき)」とか「ちょうずまわし」とか。
「転失気」は、小学校6年生の時、NHKのラジオから流れた3代目三遊亭金馬の高座で知った。私が落語に目覚めたのは、この「転失気」を聞いたのがきっかけだったといっても過言ではない。
お寺の和尚さんが腹痛をおこし、医者に診てもらったところ、「てんしきはおありですかな?」と尋ねられた。和尚は「てんしき」が何かわからないのだが、「知らない」とも言えず、つい「ございません」と答えてしまう。「ではそのように薬を盛ります」と医者に言われ、自分の身体に関わることだとわかりさあ大変。あの手この手を使ってこの言葉の意味をさぐろうとするのだが…。
「ちょうずまわし」は、6代目笑福亭松鶴の高座をCDで聞いた。
丹波の田舎旅館に、都会の大坂からお客さんが泊まりに来る。朝、大坂の客は旅館の仲居さんに「ちょうずをまわしてくれ」と頼むが、仲居さんは「ちょうずをまわす」の意味がわからない。村中総動員してこの意味をさぐろうとするが…。
いずれも、「知ったかぶりがもたらした災難」という結末を迎える。
これは落語の世界だけかと思っていたが、欧米でもこの手の話はあるらしい。
私が子どものころ、「グラハム・カーの世界の料理ショー」というカナダの番組が、日本語吹き替えで放送されていた。といっても私は全く記憶になく、以前、DVDが出ていることを友人に教えられて見たのである。
この番組は、グラハム・カーというおじさんが、世界の料理を紹介し、スタジオでその料理の腕を披露する番組なのだが、メインの料理よりも、おじさんの軽快なトークが面白いことで人気の番組であった。
料理の前に必ずオープニングトークをするのだが、ある回ではこんな話をしていた。
グラハムの知り合いの女性・コリーさんが、スイスに永住しようと、スイスに行って家を探すことにした。スイスの田舎町に1軒、気に入った家を見つけたが、ところがカナダへ戻ってきてから、その家のトイレがどこにあったのか、どうしても思い出せない。
トイレの位置が気になって仕方がないコリーさんは、スイスの田舎町で知り合った校長先生に、手紙でトイレの位置を問い合わせることにした。だが、まさか「トイレ」と書くわけにいかず、「WCはどこですか」と書くことにした。
ところがこの手紙を受け取ったスイスの校長先生、「WC」の意味がわからない。物知りの教会の牧師さんのところに聞きに行くが、この牧師が、知りもしないくせに知ったかぶりをするタイプで、「『WC』の『C』は『教会』の『C』ですな。つまりWのつく教会です」と教えやがった。
それを真に受けた校長先生、コリーさんに返事を書いた。
「おたずねのWCは家から15㎞離れたところにポツンとございます。たいへん大きく、229名収容できます。ただし木曜と日曜しか開いておりません。夏は大勢ご利用なさるので、お早めにおいでになるようおすすめいたします…」
これもまた、知らない言葉を知ったかぶったことによる「笑い」である。
私の拙い文章ではなかなか伝わりにくいが、吹き替えを聞くかぎり、まるで落語を聞いているかのようである。
では、欧米にも落語に通ずるような話があったのか、というと、ここでひとつ問題が浮上する。
はたしてこの吹き替え、グラハム・カーの言ったセリフを、ちゃんと訳していたのか?という疑念である。
Wikipediaによると、この番組の日本語版を脚色した人が、伝説の長寿ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」も手がけていたとあるから、翻訳はそうとう落語の方に寄せていた可能性が高い。というか、グラハム・カーの吹き替えをしている黒沢良さんが、完全に小沢昭一さん的なしゃべり方だもの。
むかしの吹き替えは、もとの番組を換骨奪胎している場合もあったのか?謎は深まるばかりである。
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