読書メモ・阿部次郎『三太郎の日記』(青空文庫)

阿部次郎『三太郎の日記』を知ったのは、また中学生の頃だったか。
当時、NHKのアナウンサーだった鈴木健二さんの随筆の中で、旧制弘前高校~旧制東北大学の学生時代に阿部次郎の『三太郎の日記』を耽読した思い出を書いていて、『三太郎の日記』は、教養主義に憧れる当時の学生の誰もが読んだ本だと書いてあった。
若い頃に読んでちんぷんかんぷんだった本を、いま読んだらどうなるか、というのも、読書の楽しみの1つである。この阿部次郎の『三太郎の日記』も、若い頃に読んだときにはちんぷんかんぷんだったが、いまあらためて読むと、じわじわと心に迫ってくるものがある。
以下、私が感銘を受けたところ。

「弱い者はその弱さを自覺すると同時に、自己の中に不斷の敵を見る。さうして此不斷の敵を見ることによつて、不斷の進展を促す可き不斷の機會を與へられる。臆病とは彼が外界との摩擦によつて内面的に享受する第一の經驗である。自己策勵とは彼が此臆病と戰ふことによつて内面的に享受する第二の經驗である。從つて臆病なる者は無鐵砲な者よりも沈潛の道に近い。彼は無鐵砲な者が滑つて通る處に、人生を知るの機會と自己を開展するの必然とを經驗するからである。弱い者は、自らを強くするの努力によつて、最初から強いものよりも更に深く人生を經驗することが出來る筈である。弱者の戒む可きはその弱さに耽溺することである。自ら強くするの要求を伴ふ限り、吾等は決して自己の弱さを悲觀する必要を見ない。(「沈潜のこゝろ」)

「弱い者はその弱さを自覚すると同時に、自分の中に不断の敵を見ることができる。そのことをたえず自覚することで、不断の進展をうながす機会が与えられるのである。人は外の世界と接触するときに臆病になるものだが、自分の臆病さを自覚している者は、無鉄砲な者よりも物事を深く考えることができる。弱い者は、それを克服しようとする努力によって、最初から強い者よりもさらに深く人生を経験することができるはずである。弱い者がいましむべきは、その弱さに浸ってしまうことである。それを克服しようと思うかぎり、私たちは自分の弱さを悲観する必要はないのだ」(現代語訳)

阿部次郎が再三書いているのは、「無鉄砲な自己肯定の危うさ」である。
「弱点に目をつぶって、とにかく自分に自信を持ちましょう」
という根拠のない自信は、浅薄な人生、上滑りした人生に過ぎないと述べているのである。
それに対して、「弱い者」や「自己を否定する者」ほど、実は強い人間であると阿部次郎は言う。
つまり、「最弱」こそ「最強」であると述べているのだ。

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