控えの美学
以前、TBSラジオの「アシタノカレッジ」という番組で、ライターの武田砂鉄さんと心理学者の東畑開人さんが対談していた中で、「控えの選手」について話が弾んでいた。武田砂鉄さんも東畑開人さんも、中高生時代は運動部の控えの選手で、決して表舞台に立つ人間ではなかった。しかし控えの選手のほうが、ベンチでさまざまなことを考え、さまざまな思いを抱き、さまざまな人間を観察する能力を身につけるようになる。いつも表舞台に立つレギュラー選手は、そういうことにあまり気づこうとしないし、気づくことができない、と、正確ではないがたしかそんな内容だったと思う。
なぜ、その対談を思い出したかというと、武田砂鉄さんが、今週の火曜日(2024年9月3日)と木曜日(同年9月5日)に、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」(毎週月曜~金曜、朝6:30~8:30)で、夏休みに入った森本毅郎さんの代打をつとめることになった、と聞いたからである。
「森本毅郎・スタンバイ!」は、1990年から四半世紀も続いている老舗のラジオ番組で、もうすぐ9000回に届こうとしている、言ってみればTBSラジオのレジェンドである。
別の番組で武田砂鉄さんは、「子どものころからずっと聴いていた番組で、森本毅郎さんの代打でパーソナリティーを務めるのは、感慨深いものでございますよ」と語っていた。武田砂鉄さんは、ラジオを聴くのが好きなご両親の影響を受けて、子どものころからラジオを聴く習慣が身についていたらしい。
実際に火曜日放送分の番組を聴いてみると、なるほど森本毅郎さんの相づちやコメントのタイミングを熟知した、というか体得した喋りだった。
ちょっと待てよ。考えてみれば、武田砂鉄さんはTBSラジオの数々のラジオ番組の代打をつとめている。今回の「森本毅郎・スタンバイ!」は初めてだと思うが、私が知る限りでも、「ジェーン・スー生活は踊る」「荻上チキSession」「バービーの週末ノオト」などでメインパーソナリティーがお休みの時、代打でメインパーソナリティーをつとめていたし、「赤江珠緒たまむすび」の月曜日の「週間ニッポンの空気」というコラムコーナーで、レギュラーだった小田嶋隆さんが亡くなってからはしばしば武田砂鉄さんが小田嶋さんの代打をつとめていた。
もちろん、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の火曜日のレギュラーを務めている砂鉄さんは、この日にメインパーソナリティーの大竹まことさん、あるいは火曜パートナーの小島慶子さんがお休みの時には、その代打をつとめている。
武田砂鉄さんは、今やこの国随一の「代打パーソナリティー」なのである。しかも番組ごとに、その番組の雰囲気を損なわないようなパーソナリティーぶりを発揮している。それは、10代の頃に運動部の控えの選手だったことが、その運命を決定づけたのではないか、というのが私の仮説である。控えの選手として培われた思索や人間観察が、今日の「代打パーソナリティー」として引っ張りだこの人生に影響を与えたとは考えられないだろうか。
適切な例でないかも知れないが、前職では高校の出前講義によく行かされた。前の職場には人気の同僚がいて、「○○先生を出前講義に呼びたい」と、名指しでその同僚を指名してくることが多かった。しかし人気講師なのでなかなか先方の希望に添えない場合が多い。そのときに、僕は「控えの選手」として登板したものである。先方はガッカリしたのだろうが、でも私は、それがとても心地よかったのである。
控えの選手として生きる、というのは、私にとっても理想の生き方である。
…武田砂鉄ファンにしか響かない話、でした。