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いつか観た映画・チェ・ミンシュク主演『春が来れば』(韓国、2006年、原題は『花咲く春が来れば』)
むかし観た映画の感想メモから。
チェ・ミンシク主演の映画「春が来れば」(原題:花咲く春が来れば」)。チェ・ミンシクと言えば、狂気のある人間を演じさせたら右に出る者はいないのだが、この映画に関しては、善良な小市民を演じている。
いつかオーケストラの一員になりたい、と思いながら、なかなかうまくいかず、中年にさしかかったトランペット奏者・ヒョヌ(チェ・ミンシク)。彼は、ソウルを離れ、炭坑のある、雪の多い地方都市の中学校の吹奏楽部の顧問として赴任する。
雪の多い地方都市にひとりで生活するさえない中年は、吹奏楽部の生徒たちとふれあいながら、しだいに人間的な成長をとげてゆく。
最初に観たときはそれほどでもなかったのだが、時間を措いて観たら涙があふれてとまらなくなった。
たいした事件がおこるわけでもない。言ってみれば、平凡なストーリーである。だが、ひとつひとつのなんでもないシーンが、とてもよいのだ。
ほんの些細なシーンにも、意味があることに気づく。
たとえば、映画の後半、海岸で、ヒョヌ(チェ・ミンシク)の教え子のジェイル(イ・ジェウン)が吹くトランペットの曲を、ヒョヌの元恋人・ヨニ(キム・ホジョン)が聞く場面。
その曲は、むかしヒョヌがヨニのために作った曲だった。ジェイルはそうと知らず、この曲を気に入り、大好きな祖母に聞かせようと、この曲を練習する。だが、孫の演奏を聞くことなく、祖母は事故で死んでしまう。
祖母に聞かせることができなかった曲を、ヨニの前で演奏するジェイル。そして、かつての恋人が自分のために作ってくれた曲を、ジェイルを通じて、思いがけず聞くことができたヨニ。
何でもないシーンだが、万感の思いがこもった、名シーンである。
もうひとつ、印象的な場面があった。
主人公のさえない中年、ヒョヌ(チェ・ミンシク)が、母親(ユン・ヨジョン)に電話をするシーン。
焼酎を飲んで酔っぱらったヒョヌは、感傷的になったのか、電話の向こうの母に泣きじゃくりながら言う。
「オンマ(お母さん)。オレ、最初からやり直したい。何もかも全部、やり直したい」
母が答える。「これからが始まりじゃないの。何をやり直すことがあるの」いい年こいたオッサンが、泣きじゃくって母親に電話するなど、若者には想像もつかないだろう。だが同じオッサンには、その気持ちがよくわかる。オッサンだって、泣くのだ。
ひとつひとつのシーンに出てくる、ヒョヌ(チェ・ミンシク)の些細な行動、表情、気持ちの移りかわりが、なぜか手にとるようにわかるのだ。
(ヒョヌは、このオレだ…)
映画は、そのときの体調などによっても印象が変わるので、いま見返したらどうなるか。映画は、見る側のコンディションがずいぶん関係しているのだ。
ああ、久しぶりに楽器を吹いてみたい。