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読書メモ·向田和子『向田邦子の恋文』(新潮文庫、2005年)

向田邦子は、脚本家である。
私がちゃんと見たドラマは、NHKで放映した「阿修羅のごとく」くらいしかない。このドラマは、その後のいわゆるホームドラマに大きな影響を与えた。リメイクも作られている。作り手の誰もがこのドラマへのリスペクトをしている。そしてそのことに負けず劣らず、作り手の誰もが脚本家の向田邦子へのリスペクトをしている。
演出家の久世光彦が書いた『向田邦子との二十年』(ちくま文庫)は、その最たるものといえる。この本は、全編が向田邦子に対する「思い」にあふれている。ひとりの人間に対して、これほどの思いを込めて書いた本を、私は知らない。

向田和子著『向田邦子の恋文』(新潮文庫)もまた、衝撃的である。
向田邦子は、飛行機事故で突如この世を去る。今から40年以上も前のことである。
遺品を整理していた妹の和子は、ひとつの茶封筒を見つける。
没後20年たって、気持ちの整理がついた妹の和子は、ようやくその茶封筒をあける。そこには、ある時期に交際していたN氏に宛てた手紙、そして、N氏から向田邦子に宛てた手紙、さらには、N氏の日記が入っていた。家族も知らなかった向田邦子の意外な一面である。
『向田邦子の恋文』の前半は、向田邦子がN氏に宛てた5通の手紙と、それに対するN氏の返事、さらには、向田邦子に関わるN氏の日記で構成される。そして後半は、妹・和子の姉に対する思いが語られる。
「恋文」といっても、情熱的な表現にあふれているわけではない。日常の、ごくありふれた生活を書きつづった手紙である。だが、たった5通の手紙の中に、おそらく誰にも見せなかったであろう、向田邦子の「素」の部分があらわれている。
誰に見せるつもりでもない文章が、これほどみずみずしいとは。ごく短い表現の中に、N氏に対する気遣いが伝わってくる。
…いや、こんな野暮な解説はよそう。この文庫の解説で、太田光が、これ以上にない最高の文章を書いているのだ。その解説を読めば、十分である。
太田光の解説は、向田邦子に対する「思い」にあふれている。会ったことがないにもかかわらず、である。これほどまでに自分のことを思ってくれる人がいるという向田邦子は、幸福である。
あらためて気づく。これこそが、向田邦子に対する太田光の「恋文」ではないか。
なぜ、向田邦子はかくも愛されるのか。不幸にして突然に亡くなり、その思い出だけを抱いているからだろうか。



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