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あとで読む・第56回・イゼルディン・アブエライシュ著、高月園子訳『それでも、私は憎まない』(亜紀書房、2014年)

ドキュメンタリー映画『私は憎まない』(タル·バルダ監督、2024年、カナダ・フランス合作)の主人公は、ガザ出身の医師イゼルディン・アブラエーシュ博士である。
ガザ地区の貧困地域出身で、パレスチナ人としてイスラエルの病院で働く初の医師となったアブラエーシュ博士は、産婦人科でイスラエル人とパレスチナ人両方の赤ちゃんの誕生に携わるなかで、命が平等であることを痛感し、医師としてパレスチナとイスラエルのかけ橋となる役割を自分に課した。しかし2009年1月、自宅がイスラエル軍の戦車による砲撃を受けることになってしまう。
アブラエーシュ博士は、友人のイスラエル人ジャーナリストに電話をした。このとき彼はイスラエルのテレビ番組の生放送に出演中だったが、アブラエーシュ博士からの電話に出ると、博士は自宅を砲撃され、目の前で娘が死んでいく様子を悲痛な叫びとともに伝えていた。この電話での叫びがイスラエルのテレビで生放送され、停戦のきっかけになったのである。

しかしそこからがまた試練の連続である。博士は生き残った家族をともなってカナダのトロントへ移住し、生き残った娘たちはカナダの大学に入学する。
その一方でイスラエルが無辜の家族を攻撃し3人の娘を死に至らしめたことに対して裁判を起こすことになる。真実を明らかにして、イスラエルに謝罪を求めようとした。だがイスラエル側は最後まで真実をまげ続け、謝罪をすることはなかった。
ふつうならば憎しみの感情が芽生えるはずだ。しかし博士は「共存」を唱えた。憎しみは負の連鎖しか生まない。だから「私は憎まない」。
博士の娘さんも、父の信念を受け継いでいた。何かのインタビューで、「(こういうことがあって)憎いですが?」との質問に「誰を?」と答えた。憎むって、誰を憎めばよいのか?という素朴な疑問は、父親譲りである。

「正義は勝つ」というが、ほんとうは勝った方が正義なのだ、だから正義という言葉はとても危うくて、むしろ「正気」でいることの方が大事である、と言ったのは、映画作家の大林宣彦さんだった。アブラエーシュ博士はまさに「正気」を保とうとする人だ。その精神力は並大抵なことではない。スクリーンの中でアブラエーシュ博士の存在感は圧倒的である。想像を絶する理不尽な目に遭い、くじけて悔しくて泣きじゃくってしまっても、何度でも立ち上がり対話と共存を呼びかける。3人の娘を戦禍で失い、自分は生き残った意味は何なのか。その行き着く先が、もうこんなことは終わりにしてほしいという願いを叫び続けるという使命だったのだ。

『それでも、私は憎まない』は2014年に翻訳刊行された。私は10年経って、ようやくこの本を手にすることができたのである。

※博士の名前の表記は映画では「イゼルディン・アブラエーシュ」となっているが、本の著者名の表記は「イゼルディン・アブエライシュ」となっている。

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