回想6・鷺沢萠『ケナリも花、サクラも花』(新潮文庫、1997年、初出1994年)
2009年、40歳になるときに韓国に留学した。
韓国語がまったくわからないままの渡韓だったので、入国してすぐに大学の中にある語学学校(語学院)に入り、韓国語の勉強を始めた。そして留学中のほとんどの時間を、韓国語の授業を受けることに費やしたのである。
韓国語がまったくわからない外国人にむけての1級クラスから始まり、3カ月ごとに期末テストがある。期末テストに合格すると、今度は2級に上がれる。さらに3カ月後の期末テストに合格すると今度は3級だ。こうして3カ月ごとに進級できることになるので、まじめに1年間勉強しようとすると、4級まで進級することができる。
私は韓国語を1級クラスから始めてまじめに勉強し、1回も落第することなく10カ月後には4級に進級した。それまでその語学院では、500人あまりいる学生のうち、ほとんどは中国人の20代の若者で、日本人は私1人だった。だが4級クラスに進むと、1人の日本人と出会った。私より10歳くらい年下の女性で、韓国人と結婚したカエさんという人だった。
カエさんはなかなか気性の強い人で、あるとき韓国語の先生に「夫にショックを与えるような怒りの言葉があれば教えてください」と聞いていた。夫婦げんかに負けたくないという思いが強かったようである。
あるとき、カエさんと在日僑胞について話をしたことがあった。その数日後、カエさんが鷺沢萌『ケナリも花、サクラも花』(新潮文庫)という薄い文庫本を貸してくれた。それまで私は、鷺沢萌の文章を読んだことがなかった。私と同じ年齢の作家だったなというくらいのイメージしかなかった。
「彼女、祖母が韓国人で、クォーターだったそうなんですよ。で、在日僑胞として韓国語を学ぼうと、韓国に留学したときのエッセイがこれです。お読みになるとわかると思いますけど、読んでいるとちょっと繊細な部分があって…彼女が自ら命を絶ったのも、そういう繊細さが関係しているのかも知れません」
私は、本を借りたまま、返すきっかけを失ってしまい、4級の授業が終わってしまった。その後、カエさんと会う機会もなく、連絡先もわからなかったため、借りた本を日本まで持ってきてしまった。
鷺沢萌は、1993年の1月から6月まで、ソウルにある延世大学の語学堂で韓国語を勉強した。そのときの体験を中心に綴ったのが、この本である。あらためて読んでみて、私が留学中の1年で感じたことと、ほぼ同じようなことを感じていることに驚く。とくに、韓国生活における「負の部分」を、鷺沢萌はじつに率直に、そして冷静に書いている。もちろん、彼女が在日僑胞であることによる、さまざまな「思い」については、たぶん、私の想像をこえるものである。だが1年あまりの韓国滞在を経て、私は全身でこの本の内容を受けとめることができたような気がした。
「ケナリ」とはレンギョウのことである。韓国の春を代表する花だ。毎年5月の大型連休に、私はレンギョウが美しく咲いている高原に行く。サクラもいいが、レンギョウもいい。黄色く鮮やかに咲くレンギョウを見るたびに、韓国での留学生活のことを思い出す。カエさんはいまも韓国でたくましく生きていることだろう。