対談は人なり・小林聡美『ていだん』中公文庫、2021年、初出2017年)
本棚の奥で、以前買った小林聡美さんの『ていだん』を見つけた。以前にも読んだが、久しぶりに読んでみたくなり、休日の昼下がり、さまざまな用事をしている時間を穴埋めするように、少しずつページをめくった。
「ていだん」とは「鼎談」すなわち3人で話すことを意味するが、18組の座組みがどれも素晴らしい。同業である役者だけではなく、小説家、文筆家、音楽家、落語家、絵本作家、劇作家、俳人、料理人、漁師、デザイナー、フードコーディネーター、はては発酵学者など、じつにさまざまだ。こういう場にはめったに出てこない人もいて、すべては小林聡美さんの人徳によるものだと思う。
かくいう小林聡美さんも、「あとがき」でこんなことを書いている。
「人生すべて受け身でここまで生きてきた私にとって、鼎談の女主人をつとめることは、いきなり知らない森のトレッキングガイドを任されるような無謀なミッションでした。おまけに友人知人のとても少ない私には一八×二=三六人ものゲストをお招くするのは至難の業で、連載存続の危機が訪れるのは時間の問題と思われました。
ではなぜそんな無謀な山を登り始めたのか。それは、私の受け身気質に対するささやかな革新運動であったのかもしれません。苦手なことにあえて飛び込んでみよう。ただでさえ人とお会いする機会の少ない私、いろんな方のお話を聞かせていただこう。あの方には是非お会いしたい!そんな私の都合のいい思惑も知らずこのようなやけっぱちな企画に巻き込まれてくださった三六人のゲストの皆様にはただただ感謝の言葉しかありません」
「…ゲストのかたがたの、私の中にはない視点で物事を捉えぽつりとこぼされた言葉には、文字どおり目から鱗が落ちました。自分の無知や視野の狭さや常識にとらわれて縮こまっていた部分に気づかされました。時にひたすら感心し、時に一緒に共感し、時に励まされ、時にお会いできるだけでも嬉しい。お目にかかったことのある方、初めてお会いする方、毎回期待と緊張でぱんぱんでした。そして帰り道は、いつも女主人としての至らなさを反省しつつも、素敵なかたがたと過ごした時間の余韻をしみじみと味わうのでした」
引用が長くなり恐縮だが、なんと正直で誠実な文章だろう。『ていだん』を読んでいて思うのは、どの鼎談を読んでも、そこから滲み出てくる相手との距離感に心地よさを感じることである。「私の受け身気質」「友人知人のとても少ない私」「ただでさえ人とお会いする機会のない私」というのは、長年ファンを続けている私からみても、謙遜ではなく嘘偽りのない自己評価なのだと思うが、そんなこととは裏腹に、鼎談相手の誰もが小林聡美さんの生き方を尊重したり憧れたりして、自然と話をしに集まってくるような印象を受ける。
どの世界もそうなのだと思うが、同じ業界人ばかりで日常的につるんでいたりすることがよくある。私が身を置く業界でも、その関係を心地よく思ったり、その関係が世界のすべてだと思ったりする人がいるのを時折見かける。私はそれが苦手である。同じ業界の人とはできるだけつるまず、その世界から飛び出したくなる衝動にいつも駆られる。それは自分のキャリアにとって一見無駄なことのように思えるかもしれないが、そのおかげでのりしろが広がり、「0か1か」といった逃げ場のない選択肢に対する苦しみをやんわりと交わすことができる。そこを軽やかに飛び越える人間でありたいと常に思っている。
すべてがおもしろい鼎談だったが、意外なところでは、小林聡美さんと発酵学者の小泉武夫さんの「発酵食品談義」はそこはかとなく可笑しかった。