読書メモ・光浦靖子『ようやくカナダに行きまして』(文藝春秋、2024年)
さて、『50歳になりまして』を読了した私は、その続編『ようやくカナダに行きまして』にようやくたどり着いた。私がこの本に並々ならぬ関心を持ったのは、私も15年前の40歳のときに1年間、当時勤めていた職場の許可をもらって韓国に留学したからである。韓国語がまったくわからない私が、なぜ40歳のときに韓国留学を決めたのか、うまく説明できない。でもこの本を読むと、そのときの心情がよみがえってくる。ひと言で言えば、「知らない強みでございますな」(三代目三遊亭金馬「転失気」より)。
言葉もわからず単身で留学するとなると、誰かの手助けなしには最初は何もできない。私が留学した年(2009年)はすんなりと入国できたが、光浦さんが留学した2021年7月は、パンデミックの真っ最中だった。パンデミックという「変数」のせいで、入国までの手続きがひどく複雑になり、入国してからも隔離が続く。そんなことが一人で乗り越えられるはずもない。一生隔離されたまま娑婆に出られないんじゃないかと光浦さんは毎日泣いていたが、まわりの人の協力でその絶望から回避することができた。読み進めていくとそうしたことの連続だ。光浦さんはいつも泣いている。でも誰かが必ず助けてくれる。
ある日突然「カレッジに行って料理を勉強する」と思い立つ。トントン拍子で話が進み2022年3月に入学することが決まった。ところが入学直前のオリエンテーションで、自分が学ぶことになるシェフの英語がまったく聞き取れない。こりゃあもう少し英語を勉強しないと授業についていけないなと思い、カレッジの事務局に、「いまから入学を取りやめても授業料は戻ってきますか?」とたずねたところ「返金は一切しない」という予想外の答えが返ってきた。かなり高額の授業料を振り込んだのにそれが返金されないとは…。絶望した光浦さんはシェフに泣きついた。するとシェフは「返金されないなんてことはあり得ない」と言って、事務局と掛け合ってくれた。事務局は嘘をついていたのだ。シェフはこう切り替えした。
「ほら、これこそが証拠だよ。彼女(光浦さん)は君の英語すら理解できなかっただろう?彼女は英語力が足りないから、入学を延期したいと言ってるし、延期するべきだと思う。英語が理解できずに脱落した生徒を何人も見てきた。学校の運営だの金の問題は知らない。ただ我々シェフはつねに生徒の味方なんだ」
この時初めて、光浦さんはシェフの英語が全部聞き取れた。前日にあんなに聞き取れなかったのにもかかわらず、である。そしてうれしくてまた泣いた。泣いてばっかりだ。
このエピソード、もう全部わかる!私が韓国語を学び始めて3カ月くらい経ったころ、突然に、ある人の話す韓国語が全部聞き取れたことがある。いままでさんざん聞き取れなかったのに。たぶんそれは、こういうことだったんだろう。
日本で築き上げてきた立場を忘れて、一学生として人生をやり直すというのは、苦しいけれど楽しい。光浦さんの場合は、芸能人としてのストレスから解放され、一学生として誰に気兼ねすることもなく英語を学ぶ。私の場合も、毎日の小テストや、3カ月に1度の進級テストにおびえ、20歳前後の中国人留学生たちと一緒に試験を受ける。そんな経験、社会人になってしまったらなかなかできるものではない。でもこの経験は、その後の人生観に大いなる影響をもたらしたのだ。
ここから先はまったくの余談。私の場合も、入国してすぐは一人では何もできずに、多くの人に助けられた。なかでもいちばんお世話になったのはウさんである。私より少しだけ年上の大学院生で、日本に留学経験があったので日本語も上手だった。彼は、アパート探し、銀行口座の開設、家電を揃えるなど、ありとあらゆる生活面の面倒を見てくれた。彼のおかげでスムーズに韓国生活のスタートを切ることができたのである。たぶん、彼自身も日本に留学している時にお世話になった人がいたのだろう。その人への恩返しのつもりだったのかもしれない。
ちょうどパンデミックのころ、ウさんは自身のFacebookに「人探しをしています」という投稿をした。「自分が日本の大学に留学していたころにたいへんお世話になった日本人の同級生がいたのですが、卒業後は音信不通になってしまいました」という。手がかりは、フルネームを覚えていないが、○○○○という少し変わった苗字だったこと、そしてその同級生は、卒業後に地元に戻って学校の先生になりたいと言っていたこと、この2点のみだという。
この情報だけをたよりに、私はその人のことを突き止めた。たしかに地元に戻って学校の先生をしていて、いまはその学校の教頭を勤めていたことがわかったのである。我ながらすごい探偵力だ。
そのことをウさんのFacebookのコメント欄に投稿すると、ウさんはさっそくその学校に連絡をとった。するとその同級生(いまは教頭先生)が、「よく私の居場所がわかったね」とうれしそうに返事をくれたそうだ。パンデミックの時だったので実際に再会は果たせなかったのだろうが、私はこれでようやくウさんに対する恩返しができたと、うれしくて涙が出た。
パンデミックが明けて、私は学会発表のために久しぶりに韓国に入国することができた。そのときにウさんと再会した。2010年春に帰国してからウさんと会う機会がなかったので、およそ15年ぶりの再会である。過去の人生が次々と回収されていく喜びに、私は浸ったのだった。