読書メモ・細川護熙『内訟録』(日本経済新聞出版社、2010年)
もし総理大臣になったら、絶対に日記をつけるだろう。総理大臣になるチャンスなど、誰にでも訪れるわけではない。そんなチャンスを、漫然と過ごしているのはもったいない。
ずいぶん前に買った本だが、細川護煕『内訟録』(日本経済新聞出版社、2010年)は、細川護煕氏が、1993年夏から1994年春にかけての8カ月間、総理大臣を務めたときの日記である。
ちょうど僕はその頃、大学院生だったので、リアルタイムでこのときの政権のことを記憶している。
この日記が、めちゃくちゃ面白いので、折にふれて読み返し、いまの政権の知的水準との雲泥の差に、思いを馳せている。
思えば、細川氏が、当時飛び抜けて知的水準が高かった、というわけではないだろう。むしろこの世代の平均的な知的水準をもつ政治家であったはずである。
1993年8月4日(水)の日記
「トインビーは『私たちは自分たちがたまたまその中に生きている特定の国家、文明および宗教を、その故に中心的であり、また高級なものであるとする幻想からみずからを解放しなくてはならない』(『歴史の研究』)と言っているが、ベルリンの壁の崩壊、東西両ドイツの統一、旧ソ連の瓦解、東西冷戦の終結など、歴史の変化の速度は人智を超えるものなり。
日本自身の変化の速さに思いを致すとき、人間の考える時刻表が如何にあてにならぬものかと改めて思う。
私は行動で誤ることがあっても、歴史を見ることで誤ることはない。-シャルル・ドゴール」
1993年9月5日(日)の日記。
「すべての権力を持つ者が、それを濫用しがちなことは、いつも経験するところである…。権力を濫用できないようにするには、権力が権力を抑えるようなしくみが必要だ、とモンテスキューが『法の精神』で言える如く、活力ある、豊かさが実感できる社会実現のためには、何としても官僚の抵抗を抑え規制緩和せざるべからず。『春秋左氏伝』に、「国将亡、必多制」とあることを銘記すべし」
1993年11月5日(金)の日記。
「朝、皇居正殿「松の間」における文化勲章、功労賞授賞式に出席。
それにしても勲章の如きものに人は何故かくも執着するのか。真に世の為、人の為に陰ながら尽した人々を顕彰するは結構なることなれど、既に功成り、名遂げたる高位、高官の物欲しげなる態、まことに見苦しきものなり。これを見れば、大体その人の器量は解るものなり。西郷曰く、「生命も要らず、名も要らず、官位も金も望まざる者は、御しがたきものなり。然れどもこの御し難き人に非ざれば、艱難をともにして国家の大業を計るべからず」と」
細川政権は、わずか8カ月で瓦解した。政権を投げ出したと、当時、批判された。
政界引退後は、趣味人として生きているようである。
以前、小さな映画館に降りていく階段で、細川さんと思しき方と、すれ違ったことがある。
政治ドキュメンタリー映画も上映していたが、それには目もくれず、芸術を主題にしたドキュメンタリー映画をご覧になったようだった。趣味人としての人生を、全うされるおつもりなのだろう。
政治が芸術を弾圧するような風潮が訪れているいま、細川さんはどんなことを考えているのだろう。