回想・植本一子・滝口悠生『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』(私家版、2022年)
以前の話。
職場の仕事部屋で仕事をしていると、夕方に職場の若者がたずねてきた。
「お伝えしたいことがありまして…。実は今年でこの職場を辞めます」
「今年?今年度ではなく?」
「ええ、この12月をもって、です」
私にわざわざそのことを伝えに来たのは、2年間ほど一緒に仕事を進めてきたという経緯からである。
てっきりこの職場が嫌で辞めるのかと思ったら、そうではなく、自分がステップアップできる新しい職場を見つけ、運よく採用されたからだということで、少し安堵した。一方で、得がたい仕事仲間を失うのは寂しい。
そういえば、この若者と同期で、数年前に突然辞めた若者がいた。
突然辞めて、しかもその後どうなったのか、私はまったく知らなかったので、ずっと気になっていた。
彼とは新人時代に一度、仕事で韓国に行って、一日だけ、マンツーマンで韓国の水原(スウォン)とソウルをガイドしたことがある。上司の指示で、「せっかく仕事で韓国に来たので、まる一日時間をあげるから、新人のためのツアーガイドをしてほしい」と言われたのだ。私はこれまでの韓国案内の経験を駆使して、美味しいものをたらふくごちそうし、韓国といえばここを見ないと、という場所に連れていった。彼にとってはなかなか充実した一日だったと思う。
だがその後ほどなくして、彼は突然職場を辞めてしまった。その後の彼の様子を聞く機会も逸してしまった。
彼はいまどうしているのかと聞いたら、「いま、中国にいて、日本語の教師をしています。そのかたわら、フリーランスで翻訳の仕事もしています」という。
「翻訳の?日本語と中国語の?」
「いえ、英語と日本語です」
たしかに、彼は英語が堪能だった。しかし、中国語が堪能だったという話は聞いたことがなかった。
「この職場を辞めてから、中国語の勉強をはじめたそうですよ。彼、語学オタクですから。もう少し勉強すれば、中国語と日本語の翻訳もやり出すんじゃないですか」
なるほど。若いってすばらしい。
「そうか、彼は、中国でがんばってるのか…」
「ええ、がんばっています」
私は心の底から安堵した。
植本一子・滝口悠生『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』という私家版の本の末尾に寄せている武田砂鉄さんの文章、その最後にこう書いてある。
「生まれたり、いなくなったり、そのままだったり、どうもうまくいかなかったり、めずらしくうまくいったり、人それぞれなんとかやっている。誰だって、自分の近くにいる人は限られる。全員を近くに寄せることなんてできない。(中略)でも、それぞれなんとかやっていてほしい。こちらもなんとかやる。それしかないし、これからずっと、それの繰り返しだ」
もう会わなくなった人が、風の便りでなんとかやっていると聞くたびに、私はこの文章を思い出すだろう。この日退職の挨拶に来た若者もいずれは、なんとかやっているようだという風の便りを聞くだろう。そのたびに私も、俺だってなんとかやっているよと、心の中で答えるだろう。