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あとで読む・第57回·武田砂鉄『テレビ磁石』(イラスト堀道広、光文社、2024年)

武田砂鉄さんの本はなるべくサイン本を入手することにしている。しかし刊行記念のトークイベントなどに参加してご本人に直接サインしてもらう時間もないので、発売直後にサイン本が置いてありそうな書店に行く。これまでの経験からサイン本が置いてそうな書店は頭に入っているので、今回もその脳内データベースを使って近所の書店に行ったら、はたして置いてあった。

武田砂鉄さんはライターと自称しているが、この本に限ってはコラムニストである。2018年~2024年の週刊誌連載をまとめたものだが、比較的短めな制限字数の中で、世の中の事象に対して文筆の腕を振るうコラムの王道といえる。
ご本人もラジオで告白されていたとおり、これはナンシー関さんの「パクリ」である。とくに私の世代で、テレビや芸能界にそれなりの関心を持っていた人間にとっては、消しゴム版画家・ナンシー関さんのコラムは溜飲を下げる薬のようなものだった。週刊誌の連載を毎号読むことはしなかったが、文庫本が出るたびにナンシー関さんの本を買っていた。20年ほど前に亡くなってからは「ナンシー関ロス」に見舞われた。後継者は誰だろうといろいろな人のコラムを読んでみたが、ナンシー関さんの穴を埋めるコラムニストはすぐには見つからなかった。この本を手に取り、ようやくその期待に応えてくれる本に出会った、というのが第一印象である。
ラジオで大竹まことさんが「俺たちはナンシー関さんのコラムに書かれないようにしようとつねにがんばっていた」というくらい、ナンシー関さんの手にかかれば、辛辣なタレント批評の標的になる。読んでいる私も、テレビやタレントに対する違和感を明瞭に言語化してくれたことに拍手喝采していたのである。

武田砂鉄さんの本の話に戻すと、1頁が2段組みで、見開き2頁でコラムが完結する。なんとなく雑誌を意識した装丁が心地よい。パッと本を開いて、どこからでも読めるのもありがたい。ちょっと時間が空いたときにつまみ読みできるのだ。
試みに、パッと本を開いてみる。コメディアンの志村けんさんについて書いたコラムだ(「利用された志村けん」100頁)。志村けんさんに対する辛らつな批評ではなく、むしろその逆だ。志村さんに対するリスペクトに溢れたコラムである。では何に対して批判をしているかというと、新型コロナウィルスで亡くなった志村けんさんを、政治家たちが利用していることに対する批判である。当時、「コロナウィルスの危険性について、しっかりとメッセージをみなさんに届けてくれた」と発言した知事がいて、私はそれを聞いて憤慨した。武田砂鉄さんはコラムでこう書いている。

「いかなる理由があろうとも、人の死を功績にしたり、感謝を投げたりしてはいけない。社会の不安が高まっている中で、人の死そのものに大きな意味を与えるのは、あまりにも軽率だ」

私の当時の憤慨を言語化してくれている。続いてこんなことも書いている。

「大物芸能人が亡くなると、いつも、『天国の○○さんと酒でも呑んでいるんじゃないかな』という談話を聞く。よくある展開で終わらせようとする手癖に巻き込まれるのが苦手だが、志村けんの場合、彼のコントではやたらと『あの世』を題材にしていたから、『呑んでんじゃないかな』が似合う」

私も以前、同じようなことを書いたことがあるが、武田砂鉄さんのこの文章は、それに加えて志村さんへの哀悼の感情が伝わる。生きている者が前のめりになって死の意味を語り合うことで本人の死が置き去りになってはならないことを、このコラムは警告している。


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