回想7・原田マハ『キネマの神様』(文春文庫、2011年、初出2008年)
ある作家の、最初に読む作品をどれにするかというのは、けっこう重要なことかもしれない。
私の場合、桐野夏生さんは『OUT』だった。これは、フジテレビで放映されたドラマの影響である。
小川洋子さんは『博士の愛した数式』。これも映画の影響。
伊坂幸太郎さんは、『オーデュボンの祈り』。これは、数年前にある人に薦められて。
東野圭吾さんは、たぶん『白夜行』だったと思う。ただしこれは、後から映画やドラマを観た。「原作のイメージと違う!」と怒りまくった記憶がある。
さて、私が最近直面したのは、原田マハさんである。
読みたいとは思いつつも、何を最初に読んだらいいのか、わからなかったので、なかなか踏み出せなかった。
ただ、少し前に、山田洋次監督が『キネマの神様』という映画を製作して、その原作が原田マハさんであることを知り、とりあえず、その映画の公開に合わせて、原作の文庫本を入手しておいた。映画を観てから読もうかとも思ったが、結局、映画は観ていない。
ある日の夜、ふと、この本のことが気になり、読み始めたところ、止まらなくなってしまい、最後まで読み切ってしまった。
何より、小説の中に登場する実在の映画の多くが、私のこれまで観てきた映画と重なっていたことが、共感しつつ読むことができた理由である。
この小説では、『ニュー・シネマ・パラダイス』がかなり重要な作品として登場する。この映画を持ち出すのは反則だろ!と思わなくもないのだが、「映画館への愛」を主たるテーマとするこの小説では、この映画を取り上げないわけにはいかない。
もう一つ、『フィールド・オブ・ドリームス』も、重要な作品として登場する。『ニュー・シネマ・パラダイス』とならんで、1989年に日本で公開された映画で、私も大学生の時に劇場で観た。扱われている作品が、私が若い頃に観たど真ん中の映画ばかりなのである。
それでいて、古い映画についての言及も数多くされている。いわゆるシネコンとは対照的な名画座も、この小説の重要な位置を占める。学生時代、私は名画座にもよく通った。
つまりこの小説は、私が学生の頃に体験した、劇場でロードショー公開された作品と、名画座などで観た古い作品のオンパレードで、20代の頃の私の映画に対する、ある感慨みたいなことを、ファンタジーとして描いてくれているのである。ちょっと大げさな言い方かもしれない。
名画座、で思い出した。
私が名画座で観た映画として、いまでも印象に残っているのが、大学院生のときに観た高峰秀子主演の『浮雲』と、佐野周二主演の『驟雨』の二本立てである。どちらも監督が成瀬巳喜男なので、おそらく「成瀬巳喜男特集」として上映されたものだろう。ある後輩に誘われて観に行ったのだが、ふだん一緒に映画を観る関係にはない後輩がどういう経緯で私を誘ってくれたのかは覚えていない。しかし観に行った状況についてはよく覚えていて、その状況を含めて、自分にとって印象深い体験となったのである。いまでもそのときの古びた映画館の様子や、古びた映画館特有の「におい」、そのときのお客さんの様子、などを、思い出すことができる。
しかしその映画館の場所がどこだったのか、具体的になんという映画館だったのか、といったことは、覚えていない。映画を見終わってから後輩と語り合った飲食店は新宿だったような気がする。新宿の近くの名画座だったのだろうか。
憶えているのは、もうこの世で私だけかもしれない。その名画座は、いまでも残っているのだろうか。あの体験は二度と取り戻せない。名画座の「思い出だけを抱いて死ぬのだ」(by大竹まこと)。