読書メモ・ヤマザキマリ『国境のない生き方 私を作った本と旅』(小学館新書、2015年)
15年ほど前(2009年)の韓国留学中に私と妻が語学院でお世話になったキム先生(「先生」といっても我々よりもかなり年下なのだが)が、学会発表で日本に訪れるというので、実に久しぶりにお会いすることになった。しかし私は仕事の関係でどうしても都合がつかなくなり、妻だけが久しぶりの再会を果たした。キム先生はいま、夫を韓国に置いて、10代の息子さんと一緒にイタリアのナポリに住んでいて、イタリア人に韓国語を教える仕事をしているという。いろいろとお話を聞くと、「まるでヤマザキマリさんみたいな生き方だな」と妻は感じたという。
調べてみると、ヤマザキマリさんの本の中で唯一『国境のない生き方』が韓国語訳されていたことがわかり、後日キム先生にぜひ読んでもらいたいと薦めたのであった。
『国境のない生き方』は、ずいぶん前に友人から、読み終えて面白かった本として譲ってもらっていたのだが、なかなか読む機会がなかった。お恥ずかしいことにそのときはヤマザキマリさんという人が何者かわからなかったのである。転機になったのは、2022年にNHKのEテレ「100分de名著」で安部公房の『砂の女』が取り上げられていて、ヤマザキマリさんがその指南役として出演していたのを観たときだった。
このヤマザキマリさんの話が、めちゃくちゃ面白い。家族に、
「ヤマザキマリって人、弁が立つねえ。こりゃあ、テレビとかラジオに引っ張りだこになるんじゃないの?」
「もうなってるよ。出まくってるよ」
「え?」
「知らないの?『テルマエ・ロマエ』」
「知ってるよ」
そうなのか。『テルマエ・ロマエ』は、漫画を読まない私ですら知っている。たしか阿部寛が主演で映画にもなったやつだよね。後になってテレビ放映された映画を観るとめちゃくちゃ面白くて、私はすっかりヤマザキマリさんのファンになった。TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」にも何回かゲスト出演していて、私はその中の1回を聴いたのだが、抱腹絶倒なエピソードのオンパレードだった。
こうして私はようやく『国境のない生き方』を読むタイミングを得た。ヤマザキマリさんの、とくに若い頃の自分史が語られているが、この人生が実に波瀾万丈である。とくに海外で生活を始めてからはあらゆる艱難辛苦が襲いかかり、それを自分の中でどのように乗り越えていくかが語られる。でも決してその語り口は武勇伝のようではなく、抱腹絶倒で軽妙である。それでいて自分の弱さもすべてさらけ出しつつ、人生を巻き返していくその歩みは実に感動的だ。
そして本の中は名言のオンパレードである。
「よく『自分らしさ』みたいなことを言うけれど、正直なところ、私にはわからないのです。『自分らしい』って一体どういうことなのか。(中略)
自分らしいとか、らしくないとか、何かをやる前から囲いを決めてしまうことは、最初から自分で自分の限界を決めてしまうことに等しい」(35頁)
「もしかしたら私たちは、いつの間にか自分たちが狭い枠の中にとらわれていることにも気づかないまま、偏った価値観の中で汲々として生きているんじゃないか。
この閉塞感の正体は何なのか。そこに気づくには、枠の外に出てみるしかない」(26頁)
「手に負えない孤独や寂しさこそ、もしかしたらその人の想像力や個性の源泉ではないでしょうか」(47頁)
心に突き刺さる言葉はまだまだある。私はある時期から、江戸時代の思想家・荻生徂徠の「『クルワ』を出る」という言葉を胸に抱いて生きてきたが、この本を読むと、あらためてその言葉の意味を噛みしめることができる。