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50 PRCA(真のスピリチュアル、絶対的幸福へのフレームワーク)

<はじめに>

以前、私はビジネスに使われるPDCAサイクルを応用して、真のスピリチュアリストのフレームワークとしてPRCAサイクルを提唱した。

当時、私がそのPRCAについて書いた記事のタイトルにPRCAという単語を含めていなかったので、どの記事に紹介されているか見つけにくくなり埋もれてしまった。

そこで今回、当時の記事を備忘のために再掲示しておくが、さらに、そのPRCAの発展系として完全版についてもお伝えしたい。

このRCPAは啓示として与えられたが、高次元の存在が現れて語ったとかではなく、ドラマチックなまたはミステリアスな展開があって得たものではなく、私の脳内にポンっと生じたものである。
なので今回は地味というか、オカルト的な話は期待しないでいただきたい。

なお、PRCAという言葉は馴染みがないと思う。なぜならそれは私の造語であるので皆さんは知らなくて当然である。

このPRCAは、私もまだ実践途上にすぎないが、実践すると効果があるのでぜひ一読いただきたい。

以前、私は、記事41〜45でハート・エゴ・スピリチュアル・サイキックの意識領域マトリックス表を紹介した。
その表は自分の意識レベル、霊格がどの領域にあるか分かり、人の本質を見抜くことができるマップである。

それに対してPRCAのワークは、エゴからハートへ、サイキックからスピリチュアルへ進化し、その霊格、意識レベルを高めることのできるフレームワークである。

この記事ではまず最初にビジネスに使われるPDCAサイクルを比較対象のために掲げ、次に以前紹介したPRCA基本編、そして最後に今回の啓示で得られたPRCA完全版を紹介する。

興味をもった方はまず基礎編を日々実践いただき、慣れてきたら完全版に入ることをお勧めする。

意識の目覚め、絶対的幸福への道を安定的に歩み続けることができるはずである。

<PDCA >(従来のビジネス・フレームワーク)

PLAN:計画を作成する

DO:計画を実行する

CHECK:行動を評価、分析する

ACTION :改善して次回に繋げる

PDCAサイクル

PDCAサイクル(PDCA cycle、plan-do-check-act cycle)とは品質管理など業務管理における継続的な改善方法。Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(確認)→ Act(改善)の4段階を繰り返して業務を継続的に改善する方法。

私の見解を言えば、このPDCAは殆ど左脳領域で行われる。目に見える範囲でしか改善されないので業務効率化には貢献するが、論理、人智を超えた跳躍的な改革には不向きである。

そもそも最初のPがPLAN であることが致命的。
目的の方向性、意義を問うプロセスがないため、人間のエゴ、欲望を満たすことが目的化され、その実現化にリソースが注がれてしまう。

エゴに支配されたままPDCAを実行すると、スピードは早くなるかもしれないが、行き先は奈落だ。

それに対してPRCAは以下の通り。

<PRCA レベル1(基本編)>

PRAY:高次元の神々に祈る(願いごとも可)

RECEIVE :返答であるメッセージを受け取る

CHECK:メッセージの意味を理解する

ACTION :理解した内容を実行する

PRCA レベル1

文字だけ見ると、ビジネスにおけるPDCAのDがR に変わるだけだが、PLANではなくPRAY、つまり自ら計画するのではなく、何をどうすればよいか、まず祈り神の意志を尋ねる。

そしてDOではなくRECEIVE 、つまりいきなり行動するではなく、神の命令、推奨する内容を受けてから行動する。
受け取れなければまだ時期到来せず、縁がないということ。

PDCAと一番異なる点は、見えない世界からのメッセージはいつ与えられるか事前にわからないので、受け身にならざるを得ないことだ。

また、与えられた情報が神々の要望であれば、それを実行するように心がけなければならない。
そしてそれが自身および周囲、さらに人類全体の真の発展・幸せにつながる。

従ってこのPRCAは高次元につながるだけでなく、この世で与えられた使命を果たし、自分も周囲も全ての存在を真の幸せに導くフレームワークである。

なお、神々のメッセージの受け取り方(PRCAのRの部分)はたくさんある。

瞑想、直観、タロットカード、振り子によるダウジング、占い師や、マイトレーヤーとかマスターと称する方からアドバイスを受ける、見た夢の解釈、など。

私個人は瞑想の実践と直観を使うが、人には人の数だけのスタイルがあるし得意不得意もある。自分に合った方法であればなんでもいい。

ただし、高次元、神と称し、実は低次元の存在というケースは数えきれないほどあるので注意。

それらの低次元からのアプローチを受けないようにするには、普段の自分の思い(欲望に引きずられていないか)、心掛け(悪業を積み重ねていないか、過ちを犯したとしても懺悔しているか)を常に振り返り、自分にはどのような存在がアプローチしてくるだろうかと省みることだ。

なお、ビジネスのPDCAにはDOという能動的な行動があるだけでRECEIVEがない。

スポーツなどの勝負事はもちろん、ビジネスでも先手をとる、機先を制することは最重要だから迅速な行動が必須である。

それゆえに、いつくるかわからないメッセージを待つなんて悠長すぎると思われるかもしれない。

だが、行動、アクションが大事だと言っても、自ら起こすアクションのその動機の殆どがエゴによるものであり、必然的に互いのエゴとエゴがぶつかり多くの争いを生み、多くの人を傷つける。

これなら何もしない方がいい。

なぜならそのような利己的な生き方がカルマを生む原因であり、最終的に一番苦しむのはその本人だからだ。

繰り返し言うが、

PDCAのサイクルでスピードは早くなっても、高次元、ハートとつながらなければ行き先は奈落だ。

従って行動を起こす前に受け身になって、相手が神でも人でもメッセージを「待つ」「聴く」「受け入れる」というRECEIVE のプロセスが必要になる。

そしてこのPRCA にはその先がある。

それが次に述べる完全版である。

<PRCA レベル2(完全版)>

PRAY:高次元の神々に祈る

REVELATION :啓示を受け取る

COMPASSION:共感し思いやる

APPRECIATION :感謝する

PRCA レベル2
このレベルを極めた人にとっては4つのサイクルの区別は無意味。全てが同時に起こっている

レベル2の完全版になると、同じPRCAでもPのPray(祈り)には個人的な願い事は極端に減る。

高次元の計画がこの世で展開されるよう、神の愛と光が広がるように、というように利他的な願いへと昇華される。

自分にとっての願いであっても

仕事であれば
「私の経験、技術が人々の役に立ちますように」

お金であれば
「自分の財産を人々に喜ばれる形で使うことができますように」

恋愛であれば
「ハートの底から愛せる、愛し合える人と出逢いますように」

というように利己的な願い、独りよがりな願いを排除したWin-Winである願いになる。

そして高次元の恵みがあり、運命(カルマ)の定めが許せばそれらは実現する。

そしてRの部分はReceive(受け取る)からRevelation(啓示)へと昇華される。

レベル2のRevelationになると高次元からの啓示が、受け取る意思のあるなしに関わらず与えられる。

ただしRevelation は自分自身のエゴを手放そうと思わない限り与えられない。必要がなければやはり与えられない。
だが、その内容は高次元の意思、メッセージ、命令である。

命令といっても既にエゴを手放しているなら、苦痛ではなくむしろ絶対的幸福を感じるか使命感により苦痛を感じる余地はないはずである。

そしてCheck (メッセージの意味を理解する)は不要になる。

メッセージは既に理解できるレベルに達しているということもあれば、表面の意識、インテレクチュアル、ロジックの左脳レベルではまだ理解できなくても直観を通して、または右脳を通して深層意識では理解できるようになるからである。

その時点でPRCAのCは同じC でもCheckからCompassion に昇華される。

Compassion とは共感、思いやり。

神の視点から人類への愛、生きとし生けるものへの愛、動物、植物、そして岩石も含む自然全体、地球全体を愛するようになる。

極めた人は可愛らしいまたは美しい動植物だけでなく、一般に嫌われがちなヘビや虫も分け隔てなく慈しむ。人であれば浮浪者や犯罪者までも人類愛を感じるようになる。

全てが輝いて見え、一般に醜いとされるもの、嫌われているものにもその内にハート、内なる神を見い出し、愛する対象として感じるからである。

私自身の個人的なCompassionの行動事例を紹介しよう。

<Compassion 私の例ー100万円の寄付>

私は過去にも寄付、与えることをテーマにしてきており、複数の団体に対して毎月定額の寄付を行っているが、今年に入ってから、それらの定額寄付に加えて、子供たちの生活、教育を支援する某団体に100万円を一括で振り込んだ。

100万円といっても、現在の税制では、確定申告をして寄付金控除を行えば寄付金の40%近くが還付されるから実質の負担は60万円少々になる見込みである。
だが、寄付を受け取る団体には確かに100万円入るのである。

世の中にはその寄付金控除を利用した抜け目ない偽善者が少なくない。

たとえば、ある人物がとある社団法人に寄付をしたとする。

もしその団体が彼自身の息のかかった団体で、彼がその団体のお金を意のままに使える権力を持っていたとしたら、寄付したお金は自由に使えるわけだから実質的にその寄付金は預金先を変えたようなもので、懐は痛まず、それどころか寄付金額の40%の還付額が新たな収入となるわけだ。

実際に、世の中の富裕層の人々の一部は、税金逃れのために巨額の寄付を自分や親族が設立した団体に寄付をして、その団体から何らかの名目、理由をつけてお金を抜き放題、使い放題になっているケースも多いだろう。

一部のNPOや社団法人の幹部たちも慈善活動という名目のもと、寄付金だけでなく政府の補助金も受け取り、会計処理も監査も杜撰であるため、実質使い放題であると聞く。

もしそうであれば、そのような連中は善意の名の下に、私たちの納めた税金や寄付金を私的流用していることになる。

合法の範囲においても、その団体の幹部らはもらった補助金を使って自身の親族が経営する企業や店に発注してお金を還元させ、幹部一族が潤うし、そうなるとキックバックもありえる。

政治家や公務員もそのような団体に「視察」という名目で訪問して接待を受けたり、献金という形でリターンの享受が可能である。

これらの流用、利権の悪用は私の推測であり直接見たわけではない。

だが、キャッチーなフレーズとして公金チューチューという言葉が流行り出しているくらいだから、まずは、そのような言葉が事実を表しているのか事実無根なのか、国民が納得できるだけの調査とその結果の開示が必要であると思う。

それに対して、今回、私が寄付金として振り込んだ100万円は、私が額に汗水流して働いたお金をもとにリスクを背負って長い時間をかけて投資をして得たお金で、他人のお金を流用したものではない。

また、その寄付先の団体とは、私が毎月定額の寄付をしているだけの関係で、その本部、支社いずれも訪れたこともなく、一人の知人もおらず誰一人会ったことはない。集会にも一度も参加したことがない。

もらったのはこの返信のペラ一枚の振り込み入金確認のレターと受領書だけである。

つまり、私はその団体とは何ら利害関係もなく影響力ももたないから、何の恩恵も見返りも受けていない。

私が寄付したお金は、見返りを一切求めず、恵まれない子供たちの生活支援、教育支援のために捧げたお金。つまり100%の愛である。
(自分で言う根性)

ところで、100万円も一度に寄付するなんて無理、と思う人もいるだろう。

長者の万灯より貧者の一灯、という言葉があるように、金額が全てではない。

金額の多寡に関わらず、人それぞれの気持ちが込められたらそれで十分である。

なので皆さんも自分が出せるお金を寄付してみてはいかがだろうか。

既にしている人はその金額を増やしてみることをお勧めする。

できれば、自分の懐がかなり痛むと感じるくらいの寄付を1度してみてほしい。

以前、私はゲシェ・マイケル・ローチ氏の書いた無料パンフレットを翻訳して投稿したことがあった。

その中で彼は収入の10%を与えなさいと主張している(記事28)。

収入の10%というのは欧米の富裕者の寄付の基準のようである。

だが、私が高次元から得た啓示では、

寄付の額は収入の8%で十分

ということであった。

年収1000万円の人なら80万円、年収300万円の人であれば24万円である。

それでも8%というのは、年収がどうあれ、自分の懐がかなり痛むと感じるだろう。
だが、それがよいらしい。

どうしても無理なら税込収入でなく手取り収入から算出してはどうだろうか。

何もしないより遥かにましだし、今行っている寄付金額が増えるならば天使が微笑んでくれるはずだ。

ただし前述したように、自分が属している宗教団体、政治団体、公益法人などに寄付してリターンを求めるようなお手盛りの寄付には何の価値もない。

自分とはなんら関係がないが理念に賛同できる団体に見返りを求めず寄付をしてみてほしい。

きっと何かが変わるだろう。

<Compassion 私の例ートリアージ>

こちらは2020年、COVID19、いわゆる新型コロナの感染が深刻化していた頃のことである。

有名芸能人が感染して亡くなるなどして世の中は軽度のパニック状態、過剰反応ともいえる状況が続いた。

当時はマスクも不足で買い占めや店頭での早い者勝ちによる奪い合いが起こり、それでいて、安倍政権が調達して国民に支給したマスクはアベノマスクと揶揄され、国民は感謝どころか「小さい」「たった二枚だけ」などとバッシングが起きた。

それにしても政府を批判し放題、バッシングやりたい放題できる日本って本当にいい国だ。
(北朝鮮やロシアその他独裁政権、軍事政権の発展途上国に生まれていたら....)

ワクチンについても予約の早い者勝ちということで人々の間で奪い合いが始まった。

私といえば、株式投資では人が売っている時に保持または追加買いをするなど逆の行動をとることが多い。

皮肉なことだが、

人類の意識が眠り続けてエゴ、欲望に支配されたままであれば、彼らとは反対の行動をとる方が良い結果を生む。

私はコロナ対策についても逆張り、つまり人々とは真逆の行動をとった。

マスクを買おうとはせず自分で手作りした。
(といってもシャツを仕立てた時に余った端切れがあったのでそれをピンで留めただけのものだったが)

そしてワクチンは職場でただ一人接種しなかった。
(現在に至るまで新型コロナ用のmRNAワクチンは一度も接種していない)

接種しなかったのはワクチンの副作用リスクを避けるためで、それ自体はCompassionに基づくものではない。

だが将来何が起こるかわからないものは接種しない方が良いということを、あらゆる知人に言って説得した。
これは思いやり、ハートからの訴えだったが、悲しいことに誰一人からも共感を得られず職場で未接種はずっと私一人という状況が続いた。

新型コロナに関わるCompassionに基づくもう一つの行動は、トリアージに関するものである。

当時の私の思いはここ写真で紹介している一枚の紙に集約されているのでここでは説明は省く。

私は当時、いつでも提示できるようこの紙を折りたたんで通勤カバンに入れていた。

そして同内容を厚生省か内閣府か忘れたが政府に意見提出した。

これまで長く生きてきたのだから若い人に生きるチャンスを譲りたい、ただそれだけの願いだった。私なりの若い人への思いやりのつもりだった。

だが幸か不幸か私は今も生きている。

カルマ、運命が私に命じたのは死ではなく生であった。

このトリアージの提案は空振りに終わったものの、当時の私が発したCompassion のエネルギーはなくなったわけではない。

私が発したCompassionの想念のエネルギーは、誰かにキャッチされ、それを別の形の思いやりとしてまた別の誰かに分かち与えるであろうと、私は信じ願っている。

<ケーススタディー津山事件>

ヌートピアンが提唱し行っているCompassion を自分も行ったらお金はなくなるし、命も失うかもしれない。損だらけにならないの?

そう思う方も多いかもしれない。
というか99%の人がそう感じるだろう。

1から1を引くとゼロになり失われるわけだから、左脳のロジックとしてはその考えは正しいかもしれない。

ところが、左脳ロジックだけで物事を考え、1に1を足せば2になると信じて奪い合い、寄付などしたことのない人々は本当に幸せなのだろうか。

奪いたい貰いたいと思い続けている人は、その想念が行動になり、政府に対して生活保護の金額を減らすな、補助金を寄越せ、できないなら◯◯辞めろと叫ぶ。

デモと称して、いくら太鼓を叩いたり鐘を鳴らしながら町を練り歩こうが、その人自身の生活レベル、経済状況は決して変わらないし、幸せにはなれない。

自分の経済状況、生活環境を変えたいなら、ここでいうPRCAの生き方、できればレベル2の思いやり、感謝の実行を習慣化してほしい。

時間はかかるが確実に人生は好転するから。


ところで皆さんは津山事件を知っているだろうか。

昭和初期、結核の家系ということで差別を受けてきた一人の若者が、恨みから30人を殺戮した事件である。

だが、大勢の村人が次から次へと殺戮される中、犯人の若者が殺すことを躊躇し、許された者もいた。

それは、普段からその差別されていた若者に対して悪口を言わなかった者と、普段からその若者を慕って話を聞きに来ていた子供だった。

左脳ロジック、本能における行動理論からすれば、感染リスクを避けるために結核の家系の者に対して距離を置くのは正しい行動であり、村八分にされている者と親しくすれば自分も村八分にされるリスクがあるから、距離を置くのは適切な行動であるはずだった。

ところが、殺されたのはその左脳ロジックに従っていた人々の方であり、助かったのは、一切の見返りを求めず右脳経由のハートの判断に従ったごくわずかな人々であったのだ。

思いやりは人を救うだけでなく自分をも救う。

それがよくわかる事象である。

私は以前の記事7で、世界は5%の愛と95%のエゴイズムでできていると書いた。

津山事件で殺された人は30人。犯人と面と向いながら殺されずに助かったのは数名で5%と大差ない。

つまり世の中の95%は左脳ロジック、エゴに従い、たった5%程度の僅かな人々が右脳直観、ハート、愛をベースに生きているということがここでも証明される結果になった。

PRCAは奪い取ろうとする足し算の生き方ではなく、持っているものを与える引き算の生き方、エゴの欲望に従わずハート、愛に従う生き方、左脳ロジックより右脳直観に基づく生き方である。

<Appreciationー感謝>

最後になるが、PRCA のAは、ACTION (理解した内容を実行する)からAPPRECIATION (感謝する)へと昇華される。

このレベルではAction 、つまり行動、実行しようという意識を持つ必要はない。

祈り啓示を受け、さらに共感、思いやりがあれば、自分の頭や身体が自動で動き、行動せずにはいられなくなるからである。

そのときにAppreciation(感謝)が生じる。

ここでいう感謝はThankでもなくGratitude でもないAppreciation の言葉が適している。

Appreciation には価値を認めるという意味を含む。

Compassion の対象である生きとし生けるものが神と同質の光の存在であるという崇高なる価値をもつことに気がついた状態である。

私自身、あなた自身も神の光と愛であり、肉体が滅んだ後も続く永遠の命を授かっていると感じることができれば、自然にありがたいという気持ちが生じる。

津山三十人殺しの犯人の内にも神が内在した。
そのまだ顕現されていない愛を見出し、その価値を認めることができた者とできなかった者の間で運命は分かれた。

全ては神とつながっていて一つであるというワンネスの意識状態を一度でも経験したら、このレベルの感謝が自然と湧き起こる。

ありがとうと何万回も唱えるワークもある。
一定の効果があると思うが、私は根気がないし唱えるのが目的化しそうで実践していない。

だが例えば、食卓に上る焼き魚は数百円で買えるが、実際には漁師さんから調理する人や小売店など大勢の人の汗と努力の結果であり、それらの人がいなければいくらお金を持っていようが食べることはできない。

さらに今、呼吸ができていること、水が飲めること、一つ一つ当たり前と思っていたことが実はとても大きな神の愛の恵みであると知るならば、ごく自然にありがたいと感謝できる。

それでも感謝が永続せず全てが分離している状態しか感知できない意識状態になれば、最初のサイクル、祈りからまた始める。

神の意識状態に戻れるよう、神の愛と光を感じられるようにと祈るのである。

世界中の人々がPRCAレベル2(完全版)に真摯に取り組むならば、その瞬間に地球に愛と光と平和に包まれる。

もし誰も取り組まなくても、あなた自身がPRCAを実行していくなら、たとえ周囲が騙し合い、罵り合い、奪い合っていても、あなた自身は高次元のエネルギーでコーティングされて守られる。

そしてあなたは暗黒の夜に輝くたった一つの灯りとしての使命を持ち始めるだろう。

以上、読んでくれてありがとう。

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