33 日本の神々に対する理解と交流(理解編2)
前回は日本の神々に対する理解と交流というタイトルで、前半の理解について記した。
今回はその後半、私が実際に体験した日本の神々との交流事例を幾つか紹介するつもりだったが、理解編としてまだ伝えることがあるという新たな啓示があったので、前回の理解編の続きを記すことになった。
従って交流編に入る前にもう少しだけお付き合い願いたい。
<神々との交流の方法について>
私は二十代に入る頃から独自に瞑想やヨガの呼吸法などスピリチュアルワークを続けており、自分の内なる魂、ハートの声を聞くことを心がけている。
そういう生き方をしているせいか、ワークの効果が多少蓄積されてきたからか、私自身の内なる声だけでなく、守護天使、さらにごく稀に人生の節目のとき等には、その上のマスタークラスの方々から突然、啓示をいただくこともある。
私の高次元との交流方法は、瞑想中にメッセージ性のあるヴィジョンを得てその象徴する意味を解釈する、または直接、声を聴くか姿を観るという方法である。
そのメカニズムは十分に理解しているわけではないが、α波、θ波、δ波などのうち、ある一定の脳波に導くことができれば、目に見えない次元とつながりやすいようである。
ただし脳波だけでない。低次元とつながらないよう、自分自身のメンタルの浄化、意識レベルを高める努力も必須になってくる。
(そうしないと入れない脳波の領域もある)
また瞑想中だけでなく、朝の起床時や、勤務中の昼休みに目を閉じて休んでいる時も瞑想状態に近いからか、同様の啓示を受けることもある。
さらに、普通に活動している時に、物理的にはあり得ない音を聴き、それ自体がメッセージということもちらほら起きている。
脳波が通常の状態、つまりβ波でも同じ現象が起きることについては、もう私の説明能力を超えてしまっている。
科学的裏付、説明は十分ではないことは承知しているが、私の神々との交流の方法とそのメカニズムは以上の通りである。
ビジネスにおいては、PDCAサイクルというフレームワークがある。
そのPDCAに対して、私の神々との交流は下記に掲げるPRCA である。
<高次元と交流するためのフレームワーク>
PRAY:高次元の神々に祈る
(必要なら願い事を含めてもよい)
↓
RECEIVE :その返答であるメッセージを受け取る(すぐに受けとれないこともある)
↓
CHECK:メッセージの意味を理解する
↓
ACTION :理解した内容を実行する
(PDCAのような図を作りたかったが、スキルも時間も根性もなかったので許してほしい)
文字だけ見ると、ビジネスにおけるPDCAのDがR に変わるだけだが、PLANではなくPRAY、つまり自ら計画するのではなく、何をどうすればよいかまず祈り神の意志を聴く。
そしてDOではなくRECEIVE 、つまりいきなり行動するではなく、神の命令、推奨する内容を受けてから行動する。受け取れなければまだ時期到来せず、縁がないということ。
PDCAと一番異なる点は、見えない世界からのメッセージはいつくるか事前にわからないので、どうしても受け身にならざるを得ないことだ。
また、与えられた情報は神々の要望的なものであれば、当然ながらそれを実行するように心がけなければならない。それが自身および周囲、さらに人類全体の真の発展・幸せにつながる。
従って、
このPRCAは、高次元につながるだけでなく、この世で与えられた使命を果たし、自分も周囲も全ての存在を真の幸せに導くフレームワークである。
この新しいフレームワークは、この世的な視点で言えば、私ヌートピアンのオリジナルではあるが、
高次元が人類に知らしめているのであり、私ヌートピアンはそれを伝えるただの媒体にすぎない。
従って私にはこのフレームワークに対する所有権はなく、全ての人に無償で提供される。
このPRCA(ピーアールシーエー)を実行して効果を感じられるなら、ぜひ広めてほしい。
なお、神々のメッセージの受け取り方(PRCAのRの部分)の方法は、他にもたくさんある。
たとえば、タロットカード、振り子によるダウジング、占い師や、マイトレーヤーとかマスターと称する方からアドバイスを受ける、見た夢の解釈、など。
人には人の数だけのスタイルがあるし得意不得意もある。自分に合った方法であればなんでもいいと思うが、私は道具やカードの類は使用しないし、他人にも頼らないというだけである。
もちろん高次元、神と称し、実は低次元の存在というケースも無限にあるので注意。
騙されないようにするには、
普段の自分の思い(欲望に引きずられていないか)、心掛け(悪業を積み重ねていないか、過ちを犯したとしても懺悔しているか)を常に振り返り、自分にはどのような存在がアプローチしてくるだろうかと省みることだ。
次回以降の交流編はこの問題も含めて書いてみたい。
逆にビジネスのPDCAにはDOという能動的な行動があるだけでRECEIVEがない。
スポーツなどの勝負事はもちろん、ビジネスでも先手をとる、機先を制することは最重要だから迅速な行動が必須である。
それゆえに、いつくるかわからないメッセージを待つなんて悠長すぎるというのは理解できる。
ただし行動、アクションが大事だと言っても、自ら起こすアクションのその動機の殆どがエゴによるものだと必然的に互いのエゴとエゴがぶつかり多くの争いを生み、多くの人を傷つける。
これなら何もしない方がいい。
なぜならそのような利己的な生き方はカルマを生み、最終的に一番苦しむのはその本人だからだ。
従って行動を起こす前に受け身になって、相手が神でも人でも
「待つ」「聴く」「受け入れる」
というRECEIVE のプロセスが必要になる。
ビジネスは良いサービスを提供してその対価として利益を得ることを目的とするが、それは建前であり、殆どのビジネスでは人のお金を合法的に奪うことが真の目的となっている。
良い物作りや良いサービスの提供というのはそれ自体が目的ではなく(それが真の目的であれば高次元と繋がっている組織)、他人からお金を吸い上げるための手段というのが人間の本音である。
歴史上の例として大航海時代を挙げてみる。
世界の果てを目指す冒険の旅というロマンチックな言い回しはエゴのごまかしであり、キリスト教の普及を通じて神の愛を世界中に知らしめる、というのも建前。
その目的は当時のビジネス、金銀財宝を他国に先駆けて自分のものにしようとする国家間の奪い合いである。
それゆえに発見した島の現地の人々らと温かい交流、友情を築く、なんてことは行われず、現地人を奴隷化して強制労働をさせて、抵抗する者は殺戮して搾取を続けた。
従って、大航海時代の航海はシビアなビジネスでありロマンなどなかった。
金持ちはオーナーとなって航海する船に投資し、成功すれば富を得るが失敗すれば財産を失う。
貧しい人は船の乗組員となって地上の仕事より高い賃金を得られたが、海賊に襲われたり嵐に合えば命を失う。
金持ちはお金を賭けて、貧しい人は命を賭ける。
これが高次元とのチャネルが切れている人の生き方である。
何がロマンと言えようか。
高次元とつながらなければ運否天賦に身を任せ、合法非合法いずれかの方法で人の財産や自由を奪うか、または他人の支配下に入り強制されて労働するしかない。
真のロマンとは、人を支配して自分の思い通りの人生を生きることではなく、高次元の神々と共に生き、小さな自己だけでは想像もつかなかった素晴らしい出会いや運命の展開を受け入れて、その展開自体を楽しむことである。
また当時、現地人に対する野蛮な行為を止めさせる役目があるはずのキリスト教の関係者は、教皇から現地に赴いた宣教師に至るまでそれを容認した。
つまりクリスチャンですら神の声など聴く気がなかったということだ。
現代は、ビジネスもコンプライアンスの重要性が叫ばれる時代となり、SDGsという言葉もできて、LGBTなど多様性の尊重も訴えられるようになった。
人権の大切さが至る分野で重要視されるようになった分、洗練されてきたような印象を受けるが、やはり現実を見れば、相手への思いやりが欠け、権利の主張をし合うマウント合戦が続いている。
このような争いは、歴史を振り返ると国家同士、貴族や武士など権力者同士の争いが中心に思えるが、歴史に記されていないだけで庶民間でも当然なされていた。
ところが今では一般大衆や社会的弱者にカテゴライズされていた人々が世間の注目を浴びながら戦える社会になった。
その分、互いの自己主張のぶつかり、争いが拡大・先鋭化される世界になってしまった。
LGBTなどは十分な理解が浸透する前に権利の主張が行われていて、反論すれば差別主義者と言われるため、多くの人が腫れ物を触るように気を使い話題にすることすら避けている。
従来のPDCAの致命的な欠陥は、高次元とのつながりが得られないので、エゴ間の競争にまみれ、結局は自己の利益や権力拡大を求めるためのフレームワークとして使われてしまうことだ。
全ての争いを止める役割を期待されているはずの団体も以前は宗教しかなかったが、今では国連、人権団体、慈善活動を行うNPOや社団法人まで裾野は広がった。
だがそれらの団体自体が無力か、自ら諍いの元を作っているようにしか見えない。
平和、愛、命や人権の尊重、といった使う言葉はきれいでも、高次元とのコネクションが切れているから、お金や利権(NPOであれば補助金や寄付金)の奪い合いや着服が目的になってしまう。
実際、慈善活動に勤しむ非営利組織では、会計処理が杜撰で寄付金や補助金を公私混同している疑いのある団体は多い。
以下に掲げるグッドガバナンス認証制度は、取得している団体はまだ少ないが、エゴの暴走の歯止めにはなると思うので今後の発展に期待している。
<伝統的・正統派神道について>
さて話を戻すが、私は昨年まで神社、神道への思い入れは一切なく一般から見れば日本人にあるまじき不信心者の部類に入っていたはずだ。
従って、日本の神々との交流も前述した通り、私自身の自己流であり、次回から述べる交流編についても伝統的かつ正当な神道の信者の方や神職の方には、異端で荒唐無稽な妄想にしか思えないだろう。
だが、私にとってリアルな直接体験であり事実であるので次回以降、一読いただいてから判断いただければと思う。
なお、これまで古来から伝わってきた神道に関する書物や絵画、彫刻などはいずれも貴重で素晴らしい日本の文化財ではあるが、歴史がある分、日本の神々も文化財同様、過去の存在と見做されたり、そもそも芸術作品同様、創作であり架空の存在と思っている人は多いはずだ。
現代の神職に従事されている方々でも割り切って考えている方々は少なくないと思う。
だが、
実際の神々は過去の存在ではなく、架空の存在どころではなく、それどころか今現在も、生き生きと輝いて活動をされている。そしてそのパワーも健在である。
その片鱗を感じ取っていただければ、私も記事をアップする甲斐があるというものだ。
さて、私がこの半年で直接交流できた神々は以下の三柱の方々である。
ウカノミタマノカミ
タカミムスヒノカミ
イチキシマヒメ
ただし個人交流なので内容は細やかなものである。
また、直接交流しているわけではないが、重要な啓示を与えてくれた神として、
セオリツヒメ
を掲げておく。
この神については私個人に縁があったわけではないが、いろいろなサイトでテーマにされ、どういうわけか非常に人気がある。なんでだろうと私なりにアプローチしてみたところ、人類に普遍的に必要な情報を与えられた、ということである。
この最初の三柱の神々との交流エピソード、そして最後に掲げた神々から授かった啓示を、それぞれ一つづつ計4回の投稿に分けて語ってみたいと思う。
(この投稿期間中に新たな事象が生じたら、追加する可能性もあり)
なお、念のため、私の交流事例を本当に公開していいどうか、神々の御心に沿うか伺ってみた。(勝手に話して罰が当たるのはたまらないからね)
すると、神々は意外なくらい快く認められた。
その理由は、やはり神々ご自身も、我々に理解してほしいからだと私は思う。
なお、上記は一見、神様の名を呼び捨てにして不謹慎に思えるかもしれないが、古来からカミ、ヒメ、ヒコ、ミコトは敬称である。
従って、さらに様をつけて敬称を重ねることはしない。その方が文体がすっきりしてシンプルで読みやすいと思うからである。
次回は順番通り、
ウカノミタマノカミ
との交流を書いてみたい。
今回はここまで。
以上、読んでくれてありがとう。
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