思い出し、背負い、抱え、歩いていく。
少々重い話ではある。度々匂わせる程度には描写しているのだが、今年は大切なものをたくさん失った。
祖父が他界し、弟も私を置いて旅立ってしまった。
ここ数年は一緒に行っていなかったが、過去には二週に一度ほどのペースでカラオケに行っていた。その時の録音データを聞き返すことが私の最近の楽しみである。
布団に仰向けになり、イヤホンをして聴く。楽しそうな兄弟の声が聞こえる。この時間はどうやったってもう帰ってこない。現実はあまりに無常である。
考えてみるとまだ二ヶ月しか経っていないのだから驚きだ。ひんやりとしたその顔に手を触れ、届かない言葉をただ掛け続けた。肌に触れられるのを嫌がる男であった。まぁ男同士でそもそも頭を撫でたりするものでも無いから無理もないが、特段そういうことを嫌っていたような気がする。
彼が長い眠りについてから、今までしてこなかった分を取り返すように私はずっと頭を撫でていた。頬に触れ、髪を撫でても、残酷な冷たさだけが返ってきた。
思い返すたびに涙が出る。
父も母も妹も、気丈に振る舞っていたがやはり要所要所で堪えきれず泣いていた。
その点私は大変柄にもなく頑張ったものである。他の親族がいる前では泣かなかった。無理をしようとしたわけでもないのだが、勝手に身体が動いたのだ。だから厳密にいえば頑張っていたわけではない。
本当に誰もが悲しみ、弟のために涙を流してくれた。それだけ愛された男だったのだ。兄として誇らしい限りである。
私は人付き合いが苦手だ。親戚絡みだとしてもそれは変わらず、愛想笑いと、はい、いいえくらいでしか会話が出来ない。弟は違うのだ。
本人曰くだいぶ作って演じているとのことだったが、ムードメーカーというか、とにかく誰からも可愛がられるキャラクターであった。
八月に祖父が亡くなったこともあって、数年振りに会う従兄弟達と再び交流が生まれた。その輪の中心にいたのが私の弟だと思っている。
そんな弟が先に逝ってしまった。
だからなのだろうか。弟だったら、あいつだったら、どう振る舞うだろうか。そんなことをぼんやり考えていた。
結果私がしていたことは、その弟の像とは多少異なるのだが。
大勢に呼びかけるなど絶対にしたくなかった。親戚の集まりでは端の方でじっとしていたいタイプである。だが私は親族の皆さんに声をかけていた。弟が見ていれば引いていただろう。
なんか、兄貴無理してんな、うわぁ。
そんなことを言いそうな気がした。
たまにはお兄ちゃんらしいことをしてあげたかったのかもしれない。結局は自分のためなのではなかろうか。
お別れ会から火葬が済むまで、ずっとその変なスイッチが入ったままだった。
私の予想では、気丈に振る舞っていた兄が火葬で遂に耐えきれなくなり号泣。その姿に親族みな泣く、そんなことまで考えていた。
実際のところ、火葬場でも私のスイッチは切れなかった。骨をみんなで拾う時、父は静かに泣いていた。あまり人前で泣く姿を見たことがなかったので新鮮だった。
かく言う私もあまり人前では、というか皆そうだろうが、極力人前で泣きたくはないだろう。
スイッチが入っていたのもあって今回従兄弟や叔父叔母の前では泣かなかった。
お別れ会の前日の夜、父と飲みながら数年振りに話をしていた時には、かなりウィスキーを飲んでいたこともあってか一時間近く声をあげて泣いた。お別れ会当日、従兄弟達や叔父叔母が一旦帰った後、父母妹、父の弟だけになってから、私は再び声をあげて泣いた、らしい。そのまま泣き崩れて床で眠ったらしいことをあとで妹から聞いた。おそらく弟もかなり引いていたことであろう。
すっかり思い出す割合が多くなってしまった。
彼の残したもの、例えば飼い猫のうめちゃんとか、祖母との暮らしとか。
そういったものは代わりに背負わせてもらうことにした。弟が途中で置いた荷物ならば、代わりに背負ってあげるのがお兄ちゃんというものだろう。
弟を失ってから、私の世界はより一層つまらなくなった。心にぽっかり穴が空く、という表現を考えた方は本当に素晴らしい。まさしくその通りだと思う。穴が空いた部分の心は、弟が持って行ったのだと思う。何の役に立つかはわからないが、どうせなら持っていくといい。代わりに私はこの痛みを抱えていくことにした。この痛みの大きさこそ、弟への愛の大きさなのだろう。
こんなクソみたいな人生もう投げ捨ててリタイアしたい。そんなことはずっと前から思っているし、今も変わらないどころかこの件で一層強くなったわけだが、それでも私は歩いていかないといけない。
それがどれだけ人を悲しませることになるのか、嫌と言うほど目の当たりにした。
弟がみなを悲しませてしまったのなら、お兄ちゃんが同じことをするわけにはいかないだろう。
彼が降ろしたものを背負って、彼が与えた痛みを抱えて、私はのろのろと歩いていくことにする。
辛いとは思わない。弟がいないことは辛いが、代わりに背負うこと、この痛みを抱えること、それは案外悪い気はしない。
この道の先に彼は待っているのだと思う。自分だけ先に行ってしまったものだから、ひどく退屈してることだろう。
再開する頃までには聴き過ぎてうんざりするほど、山のようにお見上げ話を用意しておこう。
会えるのが楽しみである。それまで、先に行った祖父と楽しく釣りでもしていてほしい限りである。