真夜中の牛丼
家族が入院したとき、夜中近くにどこかで食事をしたくなったことがある。慣れない手続きを終え、ベッドの傍で何もできずにおろおろし、家族の病気の原因がまだわからないから治療も定まらず、気づいたら私は食事もしそびれていて、車もなく荷物を積んで自転車で何往復もして疲れていて、もう自分のために料理をする気には到底なれないが、このままでは眠れそうになかった。
自宅を目指して自転車を漕いでいて、やっと見つけることができたまだ開いているお店がファストフードの牛丼店だった。
入ると、コの字型のカウンターが三山ほどあり、私はその真ん中のカウンターの端に座った。
もう一山に先客が三人ほどいて、その男の人たちと隣り合ったり向かい合ったりして食べるのが恥ずかしいから、誰もいない席を選んだ。
私が座ってしばらくして、一人の男性が入ってきて、私の席の隣の隣の席に座った。
びっくりした。もう一つの山のほうに行けばいいのに、どうしてこんなに近くに来るのだろう、と。
しばらくして、もう一人、男性が入ってきて、さっきの人の隣の隣に座った。
ほかにもいっぱい席が空いているのに。
もう一人、男性が入ってきて、さっきの男性のそばに座った。
私たちは、知らない者どうし、四人で囲むように座り、黙って牛丼を食べた。
誰とも目も合わなかったし、しゃべらなかった。そっちの生姜、取ってもらっていいですか、などの会話もなかった。
ただ黙って箸を動かした。
さっきは、誰か男性と向かい合って座るのが恥ずかしいから別の席に行ってくれたらいいのにと思ったのに、四人で囲炉裏を囲むようにして座って食べていると、心細さが減っていった。
家族はどうなるんだろう、という心配が、消えてはいないにしても、何か得体の知れない安心感が私の前にあった。
あとの三人の人たちも、誰もいない山に行くより、誰かと寄り添いたかったのだろうか。