スーツケースに心をこめて
私は48歳の主婦。主人と2人暮らし、子供なし。
30歳のときに第一子を流産してしまった。精神的に弱い私に対して、主人は「まだ子供は生まれるかもしれないし」とは言わなかった。ただ黙って側に居てくれて、よく体をさすってくれた。背中の時もあったし、腕だったり、そうそう、足の指も握ってくれた。綿の靴下を履かせてくれて、履かせた後最後にぎゅっと優しくつま先を握ってくれる。私はそれが好きだった。
子を亡くしてからはや18年が経つのだが、いつからか私はその子の年齢と競うように旅行を始めた。「あの子が生きていたら何歳」と思うより、「あの子と別れて旅行し始めてから何年」と思った方がいいような気がして。
でも最初の1年は何も出来なかった。ただ泣いたり、ぼーっと物思いに耽ったり、おいしくない料理を出してしまったり、、、。おいしくない以前に、
丸焦げでキッチンにもくもくと煙が漂ってしまったこともある。
「ああ、やだ!火災報知器って、鳴ったら消防車が来るんじゃないのね!」
ぶつぶつ言いながら窓を開け放ち、ガターンと開いた窓の目前にはお隣さんの布団が干してあった、、、。
ともかく、一人ぼっちの小旅行を毎年2、3回実施している主婦と、それを
認めてくれている夫って、そんなには居ないような気がする。
何にでも感謝だ。感謝とはお金が掛からないうえに良いことを引き連れてくるから、理解のある夫に大大大感謝だ。パチンコ店の広告みたいだな。
押し入れからエメラルドグリーンのスーツケースをガタガタと出して来る。
これは主人から半年前にプレゼントとして買ってもらった。私が使っても夫が使ってもいいように、男女どちらが持ってもおかしくない色を選んだ。「まるで海外旅行に行くみたいだ」と夫が言ったように、少しばかり大きいスーツケースだが、今回は10日以上の旅になるので海外旅行級の荷物が必要になってくる。
持ち物リストを見ながらどんどん詰めていく。意外と忘れがちなのが、お風呂で体をこするタオルだ。普通のタオルでは洗った気がしない。ワシャワシャと泡が出る、ナイロンのタオルがないとダメだ。あれは格安のホテルとか
ビジネスホテルには有った試しがない。無駄にケガをしがちな危ないカミソリはいつも有るけれど。
それから、お茶やコーヒーをお湯で煮だせるマイポットが有ってもいいなと思いついた。サーモマグと透明の小さなポットを割れないように持っていこう。ホテルにはウェルカムコーヒーがあるかもしれないけれど、備えあれば憂いなしだ。普段使いしているサーモマグとポット、そしてほうじ茶とジャスミンティーのティーバッグ、ドリップコーヒーを詰める。
つづく
(この話はフィクションです)