今日子
お客さん終点です といってもくれずに
なぜ動かないのか 疑問に思った私は 終点なんですね と言った
何も無いのにも程がある と私は笑ったのだ
日は暮れかけ 海の中へ血を吐いている
午がもう死ぬんだ 薄紫色の産道を通って夜の陣痛が始まった
いきんでいいんですね と地球が呻き金属を握る
握る金属が捻曲る 地球が金属を捻斬ると
オギャーとも泣かず 私に墜ちて来た夜は 五体満足であった
今日の夜は女だ 私はコートを脱ぎ 生まれたての夜を包む
今日の夜の親は私だ 名は今日子にしよう
明日になれば また誰かの頭上に産み落とされる夜
それまでは 今日子を抱き 歩いていく この終点から
じっと今日子が 私を見ている それは乳児の眼ではない
一生を12時間で駆け抜けて行く今日子の口には 既に
歯が生え 抜け 生え変わり 髪は伸び 両腕にズシリと重い
抱きかかえ 歩むごとに 女の匂いが増してくる
もう かかえきれなくなった今日子に コートを着せ 手を繋ぎ歩いた
「お前の名は今日子だよ」と繰りかえし私は言った
終点から次の終点へ行くまでに朝が来るだろう
それまでは「お前の名は今日子だよ」と繰りかえし繰りかえし私は言った
今日子は恥ずかしげも無く 豊満に熟れた胸をコートから覗かせ
陰毛を夜風にそよがせている 2時間後 今日子は美そのものだった
5時間後 私は 今日子をおぶっていた
8時間後 今日子の髪が脱落した 9時間後 今日子の歯は全て抜けた
10時間後 今日子は骨と皮になった 11時間後
今日子は「今日子」という老婆になった
ようやく見え始めた終点
で 今日子は私の背中で骨となり
朝日の中で崩れ落ちた 骨は粉々に弾け 風に舞い
今日子は跡形も無く 消え去った
お客さん乗りますか
と いってもくれずに
動かない始発の海の縁から 一個の充血した巨大な目玉が
空を破って 昇り始めた
オギャーとも泣かずに 墜ちて来た朝の子があるのだ