うまくやれると思ってた社会人
こんにちは🍃もなです。
今日はなぜ私が適応障害になったのかを綴りたいと思います。
適応障害とは
適応障害を発症したのは新卒で入社して3ヶ月を迎える時でした。
それまでの研修などではリーダーをしたり、以前からの積極性を活かして必死にアピールをしていました。
やることに意味があると思っていたし、これが自分を成長させると思っていました。
しかし、だんだんと仕事と自分の知識量が足らないことやミスをすることが増えてきました。
上司の些細な一言や表情を気にして、マスクの下も口角が下がりっぱなしいつも困り眉。
行き帰りの電車では、涙が訳もなくぽろぽろと。
こんなの自分じゃない。違う違う。こんなはずじゃなかった。このギャップも私を苦しめました。
あなたは何もできないんだからね
働いたことある?
もっと頑張れるよ。知ってるよ。
もちろんアルバイトはしていました。同じところで4年半。
頑張れるって私の何を知ってるの?
毎日暗いことばかり考えて、休みの日も一日中ベットの上で過ごして終わる。
Twitterで“○にたい‘’と検索してみたり。
どこかに拠り所が欲しかったのかな、、
話がまとまらなかったり、そのせいで質問したいことも出来なかったりそもそも職場で話さなくなったり。
表情には出さないように作り笑いしたり。
店を出るときはいつも
‘’今日で最後。明日○ぬから。〝と唱えてました。
家の中では無口で無表情。
怒りっぽくなったり頭で考えてることも喉の辺りで何か詰まってるような感覚になったり。
友人にはなかなか話せませんでした。
自分がこんな気持ちでこんな症状だなんて話すと、相手をこっちに引き込んでしまいそうだったからです。
しかし、今思うと溜め込むのは良くなかったと思います。
それぞれ容量があります。
今は母のために親より長生きしようと頑張っています。わたしにも症状にも波があります。
これが全て甘えだと言われても仕方ありません。
いつか治るといいなあ。
焦らずゆっくり向き合おうと思います。
今日はこの辺で🍃
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