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Outer Space Law /米国宇宙法に関する考察

2024 Springに受講したOuter Space Lawクラスに関する考察・振り返りです。宇宙法の概要説明ではなく、授業を受けての自身の考察になります。

宇宙法は、Outer Space Treatyを軸とする複数の国際条約と、それに基づく国内法により構成される。法整備の成り立ちとして、宇宙は政府主導のプロジェクトであったが故に、技術開発と法的発展が並行して進んでいる。また、統治の仕組みとして国連にCOPUSというCommitteeを有しており、この点原子力とも共通性がある。
宇宙関連条約は国際環境法や他の条約と共存するスキームとして成立しており、この点も技術開発の当初から国際枠組みとして段階的に成長してきた技術であることが関連するのではないか。宇宙や原子力に共通する興味深い点として、米国主導で築き上げてきたスキームである一方、冷戦当時のライバルであるロシアがいずれのスキームにも参画していることが挙げられる。宇宙・原子力ともに防衛技術に端を発しているにも関わらず、である。むしろ防衛技術に端を発しているからこそ、いずれの技術も極端に非人道目的のために使用すれば人類全体を絶滅させかねないようなものであり、行き過ぎを防ぐために平和利用目的を掲げた国際枠組みが必要となったのかもしれない。技術がまだ未成熟であった時期においては国際的な協力枠組みはある程度のメリットがあった可能性もある。

―国際枠組みの形成
宇宙法を勉強していて、スキームメイキングが米国主導で行われてきた点を強く感じた。また、他の技術と比較して、日本の名前が教授の口から度々上がったことも興味深かった(例えば、AI法に関する授業では一切Japanに関する言及はなかった)。これは、日本がISSのメンバーであることや、数少ない宇宙先進国オリジナルメンバーの一つであることが関係しているだろう。当たり前のことであるが、新分野の技術に関し、早期から国際協力・国際枠組みに参加するということは、その後のルールメイキングを少しでも自国に有利に形成していくために極めて重要である。
今後の科学技術の発展についてジェネラルに考えると、どのテクノロジーでも国家という枠組みが希薄になり、領域性が一層消失していくだろう。特にAIをはじめとするデジタル技術において領域性の消失は顕著だが、プライベートセクターにおける技術力の高さ、国家の財政力の疲弊、グローバル化を考えると、国プロで一から十まで開発する技術は今後生まれづらくなり、仮に国が技術開発の初期は支援したとしても、いずれは(しかも今までより一層早期段階で)民間に主導権が移り、国の役割は後方支援がメインとなっていくのではないか。
そうすると、この時代において、国家という主体が基本となる国際条約・国際枠組みは今後どれだけ役割を果たしていけるのだろうか?また、地政学的なリスクを考察するうえで中国の存在は無視できないが、現代において、かつて米露間で成立した国際枠組みは、US-Basedの国際法を“気にかけない”中国との間で成立しえるのだろうか?
国際条約の重要性については、その役割は変われど引き続き変わらないと考える。教授が言っていたことだが、どのような時代であっても、良識のあるReasonableな行動をとることが求められる。道理・Principleが全くなければ「道理に反した行動」それ自体も存在し得ない。道理・倫理はあらゆる国に対し求められる基本的な行動原理であり、どのような時代であっても理念・常識・コモンセンスを国際条約において規定することには意味がある。そうした道理に反した行動をとるアクターを非難し、その行動を変えさせるためにも、倫理は必要になるのである。防衛に端を発した宇宙技術について先ほど触れたが、テクノロジーのマルチユースは昨今話題になっているとおり、あらゆる技術は平和利用も軍事利用も可能である。AIとて、中国共産党は台湾における選挙活動の攪乱のためにAI技術を利用しているとの噂もある。あらゆる技術は軍事利用され得る、その上でのEthicsとしての平和利用目的のための国際条約、この役割を今後一層意識していく必要があるだろう。何が平和利用で、何が軍事利用なのか、国際条約がそのBoundaryを決めることになる。
他方、宇宙条約は宇宙飛行士の救出に関する条約などかなり細かいところまで規定しているが、今後国際条約の主要な役割が倫理規範となっていくことを考えると、法ですべてのWrongdoingを規定して罰則を設けるような規制を敷くことは現実的ではないだろう。現在の宇宙条約に言えることだが、加盟国やステークホルダーが増えすぎると合意形成が困難になり、もはや条約化することが不可能になる。宇宙条約も今更改正することは不可能であろう。新分野の技術に対する国家の役割としては、早期から国際協力を積み重ね、オリジナルメンバーとしての地位を確立し、自国にとって不利な倫理規範が成立しないようEarly scheme makingに参画していくことだろう。
国際条約の倫理規範としての重要性は変わらないが、地政学的な対立構造が先鋭化しているこの時代において、倫理規範としての国際スキームと国際(技術)協力枠組みは異なることを強く認識する必要があると考える。倫理規範は全世界に適用されるべきだが、国際協力枠組みはもはやLike-minded Country間とでしか成立し得ない。アルテミス合意 V.中露の対立構造がその良い例である。役割の切り分けが必要である。
また、国際条約の在り方に関する議論として、ソフトローは今後重要な役割を果たすか?という論点がある。ソフトローの利点としてはその柔軟性が挙げられるが、欠点としては、あくまでソフトローに基づくEnforcementを強制できず、Compliance頼りになることがある。Complianceが成立するLike‐Minded間ではソフトローは有効だろうが、そうでない国との間ではあまり効果がないだろう。上述の倫理規範としての国際条約は、(非道理的な行動を非難するために“使う”ためにも)やはりハードローで定めなければならない。
また、どんなに国際対立が激しくなろうとも、コミュニケーションは止めるべきではない、Even if no collaboration, but still need communicationのようなことを教授が言っていたことも印象深い。コミュニケーションが完全にストップする方がリスクが高まる可能性もあり、最低限のコミュニケーションの手法は国際条約化しておく必要があるだろう。

―Commercial Spaceの時代における法と国家の役割
現在の宇宙法における論点として、月のリソースの所有権や、宇宙旅行時における責任の所在(宇宙条約上、宇宙物体を発射する主体は国家によるAuthorizationが必要)など、商業化時代において宇宙法をどう適用していくかという点が挙げられる。国家を基本の行動単位とする宇宙法分野は、そもそも所有権のような個人の権利義務とはミスマッチな領域である。国家から個人へのアクターの移行に対応した法制度のTransferは、宇宙が他分野に先駆けて先例となるだろう。Transferはまさしく米国中の宇宙法学者が議論していることだろうが、現実的に宇宙条約はもはや変えられず、また国家の監督が全く無くなればグローバル企業が(悪い意味での)無双状態となるリスクも考えると、国家の監督は最低限維持した上で国内法においてその手続き的障壁を低くし、民業の参入を促進するようなやり方が現実的だろうか。これからの国家の役割としては、国という主体でしか行い得ない“防衛と交渉”、すなわち国際的なルールメイキングと技術保全の他、対民間に対しては、国内のレギュレーションのClarity、Certainty、Predictabilityの保証・向上があるだろう。

―宇宙の教育的・社会的意義
アメリカ人は宇宙が大好きである(Star Warsもアメリカ生まれだし)。アメリカの宇宙好きは時として大統領の宇宙政策への傾倒具合も左右する。子供の頃Apolo Missionが行われたブッシュは基本的に宇宙政策に前向きだったらしい。科学技術への熱意は幼少期の体験によって左右されうる。幼少期におけるテクノロジーに対するポジティブな印象を持つかどうかは、科学技術政策において無視し得ない影響力を発揮する。アメリカは、その技術の「ポジティブな側面の押し出し方」が圧倒的に上手い。宇宙技術に関する説明は最も洗練されている類なのかもしれないが、宇宙技術は米国の雇用を生み出す、国民への還元がある、と社会一般への効用のアピールに力点を置いている点が印象的だった。この点も日本の科学技術行政への示唆になろう。

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