随筆「コロンブス」
「いよー、くにを見つけたぞ!」
およそ40年前、「1492年 コロンブス アメリカ大陸『発見』」を、このような語呂合わせで覚えた。
「今も同じなんだろうな」と思って Google で検索すると
「意欲に燃えた (満ちた) コロンブス」
こちらが主流のようだ。
「覚えやすさは昔の『いよー』だよな」
と思いつつ、今、新たに知ったことから考えると、「意欲に」のほうが良いのかな、と思う。
Mrs. GREEN APPLE の楽曲「コロンブス」のミュージックビデオ(MV)の映像内容が差別的だということで批判が集まった。
同曲は、日本コカ・コーラ社の「Coke STUDIO」キャンペーンソングだが、MVは公開翌日に公開が停止され、同社は「コロンブス」を使ったプロモーションを中止した。
誰を批判しよう、というのではない。
調べるほどに、いろいろと思うことが増えた。
それらのことを、つれづれと綴っていきたい。
教育の現場より
私は塾で、主に中学生に英語を教えているが、たまに社会も担当する。
はっきり言って、私のコロンブスに対するイメージは、アメリカ大陸を「発見した」というくらいだった。
そこで、中学の教科書を読んでみると、このように書いてあった。
よく読むと、「アメリカ大陸を発見しました。」とは書いていない。
コロンブスが着いた場所は、もともと先住民の人たちが暮らしていたわけだから、確かに「初めて見出す」という意味の「発見」とは言えない。
もしそのような記述があったとしたら、「ヨーロッパ視点に偏っている」となるだろう。
ここまで私はずっと「発見」と書いてきたが、まずかった・・・。
また、当時の様子を描いた絵を背景に、マンガの女子キャラクターが吹き出しで、以下のように語っている。
少しイミシンだ。柔らかい表現の中にも、現在の歴史観が垣間見える。
「ここから先の内容は、現場の社会科の先生方にお任せします」という感じだ。でも、生徒に意見を聞くのかどうかを含めて、教師によって内容の濃淡がはっきり分かれるのではないかと思う。
さて、絵には、帆船、及びスペインの領有権を示す十字架を立てる乗組員をバックに、槍を掲げるコロンブスと、彼に宝物を恭しく献上しようとする先住民が描かれている。
少なくとも、コロンブスに「我々は先住民と対等だ」「互いに歩み寄ろう」という姿勢が皆無なことは明らかだ。
高校の世界史も含めて調べてみると、コロンブスについては以下のことが分かる。
最初に上陸したサン・サルバドル島の征服
「黒人奴隷」を導入
カリブ諸島でのスペイン軍を指揮しての大人数の殺害
私は、物事にはいろいろな側面があるので、「すべて良い」「すべて悪い」と割り切れることはない、と考えている。
コロンブスは、大きな困難の中、アメリカ大陸に到達した。
トウモロコシやサツマイモ、唐辛子をヨーロッパへ、ひいては他の国々へもたらした、という良い面もある。
ただ一方、「征服」「奴隷」「殺害」と見ていくと、良い面と比較することさえ憚られるような、大きな負の側面がある。
(ちなみに、なるべく客観的になろうとして「殺害」と表現したが、調べたものの多くに「虐殺」「大虐殺」と記載されていた。)
コロンブスを題材に何か表現するときは、その大きなマイナス面を考慮しなければいけないと感じた。
日本には表現の自由がある。
ただし、それは完全な自由ではなく、「他の人権を侵さない限度での自由」だ。
征服された、奴隷売買された、殺害された人々の子孫のことをよく考えなければならない。
「三人寄れば文殊の知恵」だから
「コロンブス」のMVを公開したユニバーサルミュージック、Mrs. GREEN APPLE の所属レーベルの EMI Records、及び所属事務所の Project-MGA は、連名で謝罪文を公開した。
また、MVの企画監督をした「ミセス」の大森元貴さんが、MVの映像内容について作成の経緯を詳しく説明し、真摯な謝罪をしている。
他に関わっているのはコカ・コーラ社だ。同社のコメントを朝日新聞デジタルが伝えている。
〈朝日新聞デジタル / 2024年6月14日〉
多国籍企業のコカ・コーラ社にとって、「差別を許さない」というのは、特にとても大事なことだ。そのように大切なことを、きちんと表明することは良いと思う。
ただ、気になったのは次の記述だ。
コラボ、というかビジネスは、win-win の関係になるのがもっとも良い。
コカ・コーラの宣伝が、楽曲と相まって大々的に取り上げられる。
コカ・コーラがどんどん売れる。
売り上げが話題となって、楽曲がより聴かれるようになる。
そのおかげで、コカ・コーラがますます・・・。
お互いにとってプラスになり得るのであれば、それぞれが真摯に向き合うことが大切だと感じる。
見出しの「三人寄れば文殊の知恵」は、「平凡でも、三人が協力すれば、よい知恵が出るものだ」という意味だ。
ましてや、「平凡」などではなく、絶大な人気を誇るバンドと、世界最大の清涼飲料水メーカー。
所属レーベルと事務所の力も合わせれば、素晴らしいキャンペーンになったはずだ。
もし今回の楽曲名が「夏、海へ駆け出そう!」だったら、コカ・コーラ社は、MVをチェックしなくてもよかったかもしれない(ネーミングセンスがなくてすみません・・・)。
でも今回、同社は事前に「コロンブス」という楽曲のタイトルを知っていたはずだ。
そうであれば、今回はコラボの当事者として、多国籍企業として、そしてキャンペーンを成功させるため、MVの内容をチェックするべきだったのではないか、と残念に思うのだ。
報道のしかた
今回の騒動が日本だけでなく海外でも話題になったのは、英BBCの報道の影響が大きいと感じる。
〈BBC NEWS / 2024年6月14日〉
ページに飛ぶと、記事のタイトルはこれだ。
「日本のバンドが、類人猿のような先住民のミュージックビデオを公開」と訳せる。
「類人猿のような先住民」、つまり「類人猿=先住民」と断定しているのだ。
びっくりした。「エーッ!」と思った。
記事によると、「先住民が類人猿として描写されている」というのは、「Xでそのようなポストもありましたよ」というだけのことだ。
(もちろん、大森さんはそのような意図はなかったと表明している。)
この記事タイトルは、読む人をみな「エーッ!」と思わせる刺激的なものだ。
ただ、実際の内容を正しく伝えるものではない。
"Japanese band pulls music video with APES THAT COULD BE MISINTERPRETED AS NATIVES"
「日本のバンドが、先住民だと誤解されかねない類人猿のミュージックビデオを公開」
これが、よりきちんと内容が伝わるタイトルではないかと思う(少し長くてかっこ悪いけれども・・・)。
今は、SNS全盛の時代だ。
「じっくり読んで内容を吟味しよう」というよりも、「サクッと知りたい」という需要がとても高い。
記事のタイトルだけで、「へー、そうなんだ」と思う人は、私を含めて多いと思う。
だからこそ、信頼度が高いと思われている老舗のメディアは、タイトルを特にきちんとつけてほしいと願う。
伝え方の「今」
Google でサッと調べれば、パッと答えが分かる。
生徒たちは「一発で答えが分かること」を期待している。
いろいろと「あーでもない、こーでもない」と頭を悩ませ、ついに正解が出た・・・り出なかったり。そういうふうに深く考えることは、少なくなってしまったと感じる。
でも、それは一方で、「情報が多すぎて、いろいろと考えていたら、すぐに取り残されてしまう」ということでもあると思う。
大変な時代だ。
何か本当に伝えたいことがあった場合、どのようにすればより良い結果につながるのだろうか。
当たり前だと思われるかもしれないけれども、次のようにしていきたい。
今までよりも、少しだけ深く考える。
今までよりも、ちょっとだけ範囲を広げて、どのような影響があるか考える。
「大丈夫」と思った後にも、家族や友だちに意見を聞いてみる。
とても単純で、すごく普通のことかもしれない。
でも、忙しくて大変な時代だからこそ、単純で普通のことを大事にして、ちょっと頑張って考えたい。