見出し画像

随筆「コロンブス」

「いよー、くにを見つけたぞ!」

およそ40年前、「1492年 コロンブス アメリカ大陸『発見』」を、このような語呂合わせで覚えた。
「今も同じなんだろうな」と思って Google で検索すると

「意欲に燃えた (満ちた) コロンブス」

こちらが主流のようだ。
「覚えやすさは昔の『いよー』だよな」
と思いつつ、今、新たに知ったことから考えると、「意欲に」のほうが良いのかな、と思う。

Mrs. GREEN APPLE の楽曲「コロンブス」のミュージックビデオ(MV)の映像内容が差別的だということで批判が集まった。
同曲は、日本コカ・コーラ社の「Coke STUDIO」キャンペーンソングだが、MVは公開翌日に公開が停止され、同社は「コロンブス」を使ったプロモーションを中止した。

誰を批判しよう、というのではない。
調べるほどに、いろいろと思うことが増えた。
それらのことを、つれづれと綴っていきたい。

教育の現場より

私は塾で、主に中学生に英語を教えているが、たまに社会も担当する。
はっきり言って、私のコロンブスに対するイメージは、アメリカ大陸を「発見した」というくらいだった。
そこで、中学の教科書を読んでみると、このように書いてあった。

”スペインの援助を受けたコロンブスは、西に進めばイスラム教の国々を通らずインドなどのアジアに着くと考えて出航し、1492年にアメリカ大陸に連なる西インド諸島に到達しました。”

出典:『社会科 中学生の歴史』
出版社:帝国書院
ページ:96

よく読むと、「アメリカ大陸を発見しました。」とは書いていない。
コロンブスが着いた場所は、もともと先住民の人たちが暮らしていたわけだから、確かに「初めて見出す」という意味の「発見」とは言えない。
もしそのような記述があったとしたら、「ヨーロッパ視点に偏っている」となるだろう。
ここまで私はずっと「発見」と書いてきたが、まずかった・・・。

また、当時の様子を描いた絵を背景に、マンガの女子キャラクターが吹き出しで、以下のように語っている。

”ヨーロッパの人々を出迎えた先住民の人々は、どのように扱われたのかな。”

出典:上記 『社会科 中学生の歴史』
ページ:96

少しイミシンだ。柔らかい表現の中にも、現在の歴史観が垣間見える。
「ここから先の内容は、現場の社会科の先生方にお任せします」という感じだ。でも、生徒に意見を聞くのかどうかを含めて、教師によって内容の濃淡がはっきり分かれるのではないかと思う。

さて、絵には、帆船、及びスペインの領有権を示す十字架を立てる乗組員をバックに、槍を掲げるコロンブスと、彼に宝物を恭しく献上しようとする先住民が描かれている。
少なくとも、コロンブスに「我々は先住民と対等だ」「互いに歩み寄ろう」という姿勢が皆無なことは明らかだ。

高校の世界史も含めて調べてみると、コロンブスについては以下のことが分かる。

  • 最初に上陸したサン・サルバドル島の征服

  • 「黒人奴隷」を導入

  • カリブ諸島でのスペイン軍を指揮しての大人数の殺害

私は、物事にはいろいろな側面があるので、「すべて良い」「すべて悪い」と割り切れることはない、と考えている。

コロンブスは、大きな困難の中、アメリカ大陸に到達した。
トウモロコシやサツマイモ、唐辛子をヨーロッパへ、ひいては他の国々へもたらした、という良い面もある。
ただ一方、「征服」「奴隷」「殺害」と見ていくと、良い面と比較することさえ憚られるような、大きな負の側面がある。
(ちなみに、なるべく客観的になろうとして「殺害」と表現したが、調べたものの多くに「虐殺」「大虐殺」と記載されていた。)

コロンブスを題材に何か表現するときは、その大きなマイナス面を考慮しなければいけないと感じた。

日本には表現の自由がある。
ただし、それは完全な自由ではなく、「他の人権を侵さない限度での自由」だ。
征服された、奴隷売買された、殺害された人々の子孫のことをよく考えなければならない。

「三人寄れば文殊の知恵」だから

「コロンブス」のMVを公開したユニバーサルミュージック、Mrs. GREEN APPLE の所属レーベルの EMI Records、及び所属事務所の Project-MGA は、連名で謝罪文を公開した。

また、MVの企画監督をした「ミセス」の大森元貴さんが、MVの映像内容について作成の経緯を詳しく説明し、真摯な謝罪をしている。

他に関わっているのはコカ・コーラ社だ。同社のコメントを朝日新聞デジタルが伝えている。

〈朝日新聞デジタル / 2024年6月14日〉

"コカ・コーラ社はいかなる差別も容認しておりません。今回の事態を遺憾に受け止めております。これは、我々が大切にしている価値とは異なるものです"                                    

多国籍企業のコカ・コーラ社にとって、「差別を許さない」というのは、特にとても大事なことだ。そのように大切なことを、きちんと表明することは良いと思う。
ただ、気になったのは次の記述だ。

”MVの内容については事前に把握していなかったとしている。”

コラボ、というかビジネスは、win-win の関係になるのがもっとも良い。

  1. コカ・コーラの宣伝が、楽曲と相まって大々的に取り上げられる。

  2. コカ・コーラがどんどん売れる。

  3. 売り上げが話題となって、楽曲がより聴かれるようになる。

  4. そのおかげで、コカ・コーラがますます・・・。

お互いにとってプラスになり得るのであれば、それぞれが真摯に向き合うことが大切だと感じる。

見出しの「三人寄れば文殊の知恵」は、「平凡でも、三人が協力すれば、よい知恵が出るものだ」という意味だ。
ましてや、「平凡」などではなく、絶大な人気を誇るバンドと、世界最大の清涼飲料水メーカー。
所属レーベルと事務所の力も合わせれば、素晴らしいキャンペーンになったはずだ。

もし今回の楽曲名が「夏、海へ駆け出そう!」だったら、コカ・コーラ社は、MVをチェックしなくてもよかったかもしれない(ネーミングセンスがなくてすみません・・・)。
でも今回、同社は事前に「コロンブス」という楽曲のタイトルを知っていたはずだ。
そうであれば、今回はコラボの当事者として、多国籍企業として、そしてキャンペーンを成功させるため、MVの内容をチェックするべきだったのではないか、と残念に思うのだ。

報道のしかた

今回の騒動が日本だけでなく海外でも話題になったのは、英BBCの報道の影響が大きいと感じる。

〈BBC NEWS / 2024年6月14日〉

ページに飛ぶと、記事のタイトルはこれだ。

"Japanese band pulls music video with ape-like natives"

「日本のバンドが、類人猿のような先住民のミュージックビデオを公開」と訳せる。
「類人猿のような先住民」、つまり「類人猿=先住民」と断定しているのだ。
びっくりした。「エーッ!」と思った。
記事によると、「先住民が類人猿として描写されている」というのは、「Xでそのようなポストもありましたよ」というだけのことだ。
(もちろん、大森さんはそのような意図はなかったと表明している。)

この記事タイトルは、読む人をみな「エーッ!」と思わせる刺激的なものだ。
ただ、実際の内容を正しく伝えるものではない。

"Japanese band pulls music video with APES THAT COULD BE MISINTERPRETED AS NATIVES"
「日本のバンドが、先住民だと誤解されかねない類人猿のミュージックビデオを公開」

これが、よりきちんと内容が伝わるタイトルではないかと思う(少し長くてかっこ悪いけれども・・・)。

今は、SNS全盛の時代だ。
「じっくり読んで内容を吟味しよう」というよりも、「サクッと知りたい」という需要がとても高い。
記事のタイトルだけで、「へー、そうなんだ」と思う人は、私を含めて多いと思う。
だからこそ、信頼度が高いと思われている老舗のメディアは、タイトルを特にきちんとつけてほしいと願う。

伝え方の「今」

Google でサッと調べれば、パッと答えが分かる。
生徒たちは「一発で答えが分かること」を期待している。
いろいろと「あーでもない、こーでもない」と頭を悩ませ、ついに正解が出た・・・り出なかったり。そういうふうに深く考えることは、少なくなってしまったと感じる。
でも、それは一方で、「情報が多すぎて、いろいろと考えていたら、すぐに取り残されてしまう」ということでもあると思う。
大変な時代だ。

何か本当に伝えたいことがあった場合、どのようにすればより良い結果につながるのだろうか。

当たり前だと思われるかもしれないけれども、次のようにしていきたい。

  • 今までよりも、少しだけ深く考える。

  • 今までよりも、ちょっとだけ範囲を広げて、どのような影響があるか考える。

  • 「大丈夫」と思った後にも、家族や友だちに意見を聞いてみる。

とても単純で、すごく普通のことかもしれない。
でも、忙しくて大変な時代だからこそ、単純で普通のことを大事にして、ちょっと頑張って考えたい。

いいなと思ったら応援しよう!