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4「あなたはうつ病だからドナーにはなれません」

「もし俺が透析になって、本当につらすぎて死ぬって決めたら、その時は一緒に死のう。誘って、連れて行ってあげるから」

 昨日、夫に告げられた言葉である。3/14。何の因果か、ホワイトデーであった。

 私の夫は包容力が高い。いつも明るく、私のことを笑わせようとしてくれる。寝たきりで布団から起きられない私の隣に一緒に寝転び、腕が疲れる〜と言いながらも仰向けでスマホを支えて、TikTokやYouTubeで私の好きなかわいい動物の動画を見せてくれる。もちろん調子の悪いときは断るが、無味乾燥な日々を送る私に取って、その時間は数少ない楽しみであり癒しである。

「もし腎移植できなかったとしても仕方ないことだし、透析になったってすぐ死ぬわけじゃない。その時はまたのんびり考えようよ!」

 というのが腎移植に焦る私に対する最近の夫の口癖で、昨日も私は懸命に「絶対に移植する!透析はつらすぎる!」と反論していた。
 それに対して夫が言ったのが、冒頭の台詞である。

 うつ病で特に希死念慮の強かった頃、私は毎日のように、死にたいとか、一緒に死んでほしいとか夫に訴えていた。
 もう私には生きている価値なんてない、仕事ももう怖くてできる気がしない、あれもできないこれもできない、薬なんかどうせ効かない……。
 頼れる親も友達もいない私のネガティブな言葉をただ一人で一身に受け止めるのは、夫に取ってどれだけつらかったことだろう。それでも一つ一つ私の言葉を聞いては、いつか良くなると励まし、何も出来なくたっていいからそばにいてほしいと言ってくれた夫。
 薄情なことに、当時の私にはそんな言葉はどれ一つ響かなかった。同じ精神疾患を持つ人にしかこの気持ちはわからない。夫もいっそうつ病になってしまえば、同じ痛みを共有できるのに。そんな風に思っていた。最低な妻である。
 とにかくその頃、夫の最後の言葉はいつも同じだった。絶対に死ぬな。いつか自分が死んでも後追いもするな。

 そんな夫が、「一緒に死のう」!?

 大好きな夫と死にたいと思ったことは、先述の通り何度もあった。だからその瞬間私の胸を満たしたのは、ただただ『嬉しい!』という感情のみだった。

「うん!!」

 と夫に擦り寄り笑顔でひとしきり喜んだあとで、ふと考え直した。私の夫は、こんなことを言う人だったっけ?
 私の夫はステージ5の慢性腎不全にしては足のむくみも少なく、臨床症状は軽い方だ。ただ最近になって、異様に足がよく攣るようになった。右足が攣ったかと思えば、一分も経たずに次は左足が攣ったなんてこともあった。皮膚も乾燥し、瘙痒感も出てきている。そしてやたらと疲れやすく、ちょっと歩いただけで息が上がる。寝たきりの私と同じレベルである。剣道とボクシングをずっとやっていたこともあり、私と結婚した頃の夫は、背は小さいが体力は人一倍あった。私を足にぶら下げてとか、指一本だけとかで、自衛隊式懸垂を30回とかやっていたほどである(ちなみに自衛隊の体力検定で懸垂の一級は17回である)。腕立てだって腹筋だってひょいひょいやっていたし、最近の自分の体調に、何か思うことでもあるのかもしれない。
 そこで私はようやく、もしかして夫は病気のことで思った以上に追い込まれているのかも知れないと思い至った。けれど私には夫の心は読めない。率直に聞いてみることにした。
 夫は、「そりゃ追い込まれてるよ」と笑ったあと、「でも、止められるなら自殺なんて止めてほしいよ」と言った。
 ショックだった。さっきまでの嬉しい気持ちは冷水を浴びせられたように萎んでいき、軽率に喜んでしまったことを私は心から恥じた。
 夫は臆病で、Gから始まる虫一匹にも大騒ぎするし、一緒に死のうという私の言葉にも毎回「怖いからやだ!」と返していた。腎移植について調べては、術前検査の項目の一つである胃カメラにビビり散らかして「俺絶対バリウムにしてもらう!」と無茶を言い、「全身麻酔後って吐き気あるの!?俺絶対吐きたくない!」と弱音を吐き、「尿道カテーテルなんてやだ!俺介護士時代に(今は普通のサラリーマンをしている)、カテーテルでち〇こ半分裂けてる人見たことある!」と喚く。そんな夫が一緒に死のうなんて、やっぱり普通の精神状態じゃなかったのだ。
 私は本当の大馬鹿者だった。夫の気持ちを何にもわかっちゃいなかった。もっとちゃんと夫の言葉を受け止めて、ちゃんと話を聞いて、ちゃんと励まさなければならなかったのだ。夫がいつも私にそうしてくれていたように。
 今年のバレンタインデーだってそうだ。私は外に出るのが怖くてチョコレートを買いに行けず、仕事返りの夫に市販のチョコレートを買ってきてもらい、それを夫の口に放り込むことでなんとか誤魔化した。結婚してから毎年欠かさず贈っていたのに、今年は贈れなかった。感謝の気持ちは有り余るほどあるのに、それを渡せなかった。何てひどい妻なんだろう。

 夫は仕事帰りにビールを飲んで夕食を食べると、飼っているハムスターにごはんをあげる時間まで一度寝てしまう。仕事で疲れ果て、夜まで起きている体力がないからだ。
 眠る夫にくっついているうちに、私の目からは涙がどんどん溢れてきて、それはいつの間にか号泣に変わった。ゆっくり寝かせてあげたかったのに、しゃくり上げる私に気付いてすぐに夫は目を覚ました。私は涙に喉を詰まらせながら、何とか自分の思いを伝えた。夫ちゃんごめんね。さっき夫に一緒に死のうって言われて、妻喜んじゃった。本当は妻が支えてあげるべきなのに、本当にごめん。バレンタインもチョコ贈れなくて本当にごめんね……。
 支離滅裂な言葉だったと思う。夫は最初寝ぼけていたが、私の言葉を聞いて「そんなの全然気にしてないから落ち込まないで」と慰めてくれた。笑って、「それに、バレンタインのチョコよりも大事な腎臓、俺にくれるんでしょ?」と言ってくれた。

 大掃除をした翌々日から、私はまた動けなくなった。肝臓の数値が悪くなって、お薬を少し減らされたせいかもしれない。一度動けるようになった後でまた動けなくなったので、反動でつらくなりメンタルも落ちた。こんな調子で本当に夫に腎臓をあげられるのだろうか。
 私がうつ病じゃなかったら、すんなりと夫に腎臓をあげられたかもしれないのに。
 そう思うとただ悔しい。
 体力のない夫にばかり働かせてのうのうと一日寝ている自分が不甲斐ない。
 次の移植外来の受診日を指折り数えて、待つことしかできない日々が歯がゆい。

 夫は今日、飲み会で遅くまで帰ってこない。
 もし腎移植を受けられるようになって、そこでもしものことがあったら困るから、今のうちに会いたい人に会うのだという。その後も既に数回飲み会の予定が入っている。
 腎移植は比較的簡単な手術なのだが、今は夫の気持ちを尊重したい。
 今日の飲み会が、私には気を遣ってなかなか弱音を吐いてくれない夫の、良い息抜きになることを願う。

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