2024年5月12日:2廻し
俺はどう返事していいかわからなかったが、聞いていなかったと言って、後で疑われるほうが危険だと感じ、曖昧に濁しつつ正直に答えた。
「ええ、まぁ聞こえてしまいました。えっと、その大変そうですね」
「ちょっとな。それよりお前さん、その服装は?」
彼は、スーツ姿で来た俺のことをいぶかしく思ったらしい。
たしかにスーツとはいえ、いつも勤務中に着ているそこそこのスーツだ。これからご馳走してくれる店のドレスコードには合わないのかもしれない。
でも気を悪くさせたらまずい。
俺は熱意を込めて、悪気がないことを伝えようと意気込む。
「連れて行ってくださる店とこのスーツは、微妙に合わないと思いましたが、近いものがこれしかありませんでした。でも精一杯頑張ります!」
プライベートで今日あった人と食事なんて、未知の世界だ。今日は死ぬ気で頑張らないと!いや、ホントに。でないと殺されるッ!!
「確かに今から行く店とは、違う服装だけどな。なんだ知ってたのか!――えっ頑張る?なんのことだろ――あっもしかしてお前さん、力になってくれるってのかい!?」
「はい!いやもう是非是非!【グラサン男】さんの名前に泥を塗らないように、精一杯できる限り力になりますよ!」
やっぱりそういう世界だと、貧しそうな見ず知らずの人間に施しをするのが一種のステータスと聞いたことがある。今日のこれも、お詫びという名目をとってはいるが、そういう活動の一環なんだろう。
「ありがとう!君はなんて優しいんだ。じゃあ行こうか」
感激しているグラサン男に先導され、タクシーに乗り込む。
いつの間に呼んでいたとは。やっぱり住む世界が違うってことを改めて感じる。
なんとしても、グラサン男の株を下げないように気を付けないとなぁ。ああ、こんなことなら死ぬ前にもっと親孝行しておけばよかった……。
――なんて下らないことを考えている場合じゃなかったことを、俺は1時間後に体感することとなった。