2024年6月2日:2廻し
そろそろこの辺りで記事の質、文章の質ってものを考えてみても良いかもしれないと思った。
記事の質っていうか、単位時間当たりの質っていうか。
作業量っていう観点で言うと普段の仕事とか、あとは一カ月続いたnoteの更新とかで集中して取り組んでいる時間を大学生時代よりも増やせたと思う。
平日に8時間。休日もまぁほどほどに。
なので次のフェーズは集中力の質について考えた方が良いのかもと思った。
思っただけかもしれない。
もちろん、質が大事だっていうのはそのはずで、それが意識するだけでできるなら誰でもやってるって話だ。
ただ、時間っていうのは限られている。量を増やそうって思ったところで限界はある。
平日仕事詰めで疲れているのならなおのこと、残されている時間をいかにして使うかってことに頭を回すべきなのかもって考えた。
だからそれができるならみんなやってるだろうって話に堂々巡りする。
どうやったらこの理想に近づけるだろうか。
健康志向って話ならできる範囲で気を使っている。これ以上に身体面の能力を向上させるのは厳しかろう。
となると、動く前の段取りみたいな部分が大事になってきそうだ。
とりあえず動くのではなく計画とか段取りみたいなものを組むと、その後が楽になる的な。
計画とかそんな面倒くさいことをやろうとして、何も動けないくらいならとりあえずやった方がいいっていうスタンスだった。
それには同意する。
では、動くことが一カ月前に比べたら楽になった自分なら、計画するっていうことをやるのも、それほど難しくないのでは?
少なくとも、書き続けることと、書く前に計画することの二つを慣れるまえに同時にこなすよりかは楽だろう。
でも、計画ってなにすりゃいいんだ?
起承転結みたいに構成を作ればいいのかね。でもこれはこれで話がめちゃくちゃになるって聞く。
序論本論結論の方が構成としてはまとまりやすいらしい。
でんもなぁ、堅苦しく考えて作るよりもこうしてダラダラと書きながら頭を整理する時間も好きなんだよな。
少しずつでも取り入れていけばいいかな。