ここに、あるかなしみ…
また兄木下巨一を糾弾しているように見えるかもしれない。だが、私は、長野県飯田市役所でレジェンドとまで呼ばれ、成功者と見なされている兄木下巨一を哀れに思い、その深い哀しみがこの文章へと突き動かしている。この文章は公開書簡として兄木下巨一の『勤務先』に送られるが、小心で自己保身的になった巨一の目に触れることはないだろう。そうしてさらに深い哀しみに覆われながら、私は書き募る。
本日私は実家である町中の小さな美容院に髪を切りにいった。そこで衝撃的な知らせを受けた。来月店をやめ、実家のすべてを更地にするというのだ。私は何も聞いてなかった。相続は放棄しているから、法律的にはどうこういえないだろう。だが、生まれてから何十年も住み暮らした家屋がなくなるについて、もし私が髪を切りに行くのが一ヶ月遅れていたら、何も知らされなかったことになる。これは道義的にはどうなるのだろう。良識ある一般教養人のなす行動とは思えない。
思えば巨一の恣意的手支持的に過ぎる私への『愛』はあちこちでほころびを見せていた。
近くは私の1989年のデビューエッセイを初めて読んだとき、『おまえがこんなことを考えていたとは思わなかった』と頭を抱え込んだり、7年の強引な『社会的入院』のとき、『いまはノーマライゼーションの基礎固めをやっている。だがおまえとその話をする気はないよ』といったり、『おまえはこの世の中でもっとも必要のない人種、評論家になってしまう』、といったり、思い出すだけでもおぞましい、言動の暴虐ぶじんはここには書ききれない。だがそれは彼にとって愛なのだった。
私は、彼の高く評価される『公民館活動』について、彼自らの恣意によって知らされていない。だが、漏れ聞くその包括的生涯にわたる『学び』という概念は、高く評価されるべきだろう。だが以前にも書いたが、私という肉親からは何も学ばなかった。これはインテリであり成功者であるものとしては致命的な誤り、いや、罪悪であろう。多くの無垢な市民を根本からだましたことになるのだから…
彼は生涯を通じて愛することに不器用であった。愛を受け止めることにも。たとえば母からの無償の愛でさえも、経済効果に還元してしかとらえることができなかった。周囲も無償で愛することに不器用であったような気がする。
この哀しみの物語は一編の小説として完成させなくてはいけない。
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