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g-GOD LIVE in 七里屋茶房     2023.9.17(日)小森淳(G) 仁田豊生(Or) 田中良明(Ds) 陽子(Vo)

当夜のミュージシャンにはいささか失礼ながら、私はいつか「ローカルスター」ということについて論じたことがある。おなじ論考をするのも芸がないから、引用させていただく。

『ローカルスター』を中心に『聴く』という営為を始めてから何年かたつ。これは『表現者』に対して本当はいささか失礼な物言いになるのだが、『聴くもの』としてある現場に立つ以上、『素晴らしい演奏』に出会えなければ『感動』がないというのは多分に貧しい。ある一定以上のsomethi’elseは主体的に音楽に踏みいっていけばどのような音楽表現からも得られるもので、でなければ地方に在住してなおかつ演奏表現から実存の震えを感じ取れるわけもないし、また、『ローカルスター』たちの行為が『中央』の戯画であるはずもない。プロフェッショナルは誰もが一定の技術とヴィジョンをもっているのだし、その一瞬のほとばしりが時にひとであることを超え『宇宙』と導通する瞬間は、ミュージシャンである限り経験しているし持っている。その一瞬をしっかりと、『垣間見る』ことが『聴く』という営為なのだ。ある意味ミュージシャンとともに音楽に向き合うこと。

であるから私は地方在住であることにコンプレックスを持っていない。

『本物の音楽』は『臨場する』ものでなく『演者』と『真に聴くもの』が『ともに創る』ものなのだ。当然ながら、音楽のジャンルを問わず、『弾けている』『吹けている』ことに私は評価の基準を置いていないということだ。

人類の共有財産である音楽(ここで少なからず西欧近代のバイアスのかかったという修飾をつけるのが正確なのだろうが、私は音楽表現をもっと広いものとしてとらえている)が神なるもの・宇宙との同一化ないし一体化を目指してあるという言い方はいささか恣意的に過ぎるだろうか。だが少々演奏にも関わるものとして得た内宇宙と外宇宙の一体化の体験-これが真実・真理だという一瞬の確証… そのとき私は宇宙だった。が、もうひとつ言えるのは、『音楽』から『何を』『聴き取る』かは『聴くもの』個々人の『自由』だということ。

だが私は今夜、この論考に手を入れなくてはいけない。今夜実現したのは『ローカル』だなどという形容を超えた、限りなく充実した、『素晴らしい音楽空間』だったのだ。

音楽は魂、ソウルなのだということを、このバンドはあらためて教えてくれた。テクニックは必要だけれど、十分条件ではない。熱いsomethin’else 、たとえば小森のギターにどこか匂うジミ・ヘンドリックスの香り!洗練され独自のスタイルを持つ仁田のオルガン、よく歌う田中のドラムス!クラシックの修練のあとをにおわせながら、歌唱にはそれを感じさせもしないブルージーでスィンギーなヴォーカル陽子!4人そろってシングルノートでひとを納得させる力がある。そうして日本の伝統芸、見得をも思わせるレギュラーバンドならではのステージングの冴え!小森の歌と仁田の呼吸、イントネーション、田中とのしなやかなコンビネーション!そうして陽子の正確なピッチとみごとなローングトーン!

そして4人が持つ熱いブルースソウルが、会場全体を飲みこんだ。

私はステージが進むにつれ、メモを取るのさえ忘れてスタンドし、涙ぐんでいた。

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