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「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」を読んで

昨年亡くなった山本文緒さんが余命宣告された後から亡くなる直前まで書いていた日記をまとめた、「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」を読みました。
無人島のふたりというのは、夫婦で軽井沢の家で過ごしていて、ほとんど外から訪ねてくる人もいない生活が無人島にいるような感じがするからだそうです。

このような作品を読んだり、闘病されている方のTwitterを見たとき、皆さんがどのような気持ちを抱くのかはわからなくて、むしろ皆さんに聞いてみたいのですが、私はこのような作品に触れると、今元気で生きていることや自由になる身体があることの貴重さに気づかされます。
みんな特別な人ではなくて、まさか自分が、と思っていた一人たち、私たちとまったく同じ普通の人です。だから、それは自分だったかもしれないのです。普段なにげなく生きてしまっている毎日の輝きに気づかせてくれます。
例えば私には家族がいるので、子供たちの楽しそうな姿はもちろん、イライラしてしまいがちな子供の癇癪や泣き声さえも、二度と見れないとしたらとてもかけがえのない瞬間に思えます。

30年以上生きてくると、ついついイベントごとなんかも適当になってきて、子供の誕生日は祝っても、自分の誕生日はなにもしなかったり、クリスマスプレゼントなんて自分に買ったの何年前だ?みたいになります。
でも、この本の記述で、新刊の発売の後の目標を自身の誕生日にしています。
結局、誕生日まで生きることは叶いませんでした。おそらく発覚したのはその前の誕生日のあと、なので発覚前の誕生日が最後の誕生日、クリスマスも発覚前の最後だったのだと思います。
これが最後の誕生日かもしれない、最後のクリスマスかもしれないと思って過ごしたら、家族で祝えるこの幸せや日々の輝きをもっと噛み締めることができるかもしれないなと思いました。

亡くなる直前まで描いていた文章は、終わりまでとてもリアルで、自分のことのように感じてしまいます。
ここまでの体調になりながらも描き続けた山本文緒さんの作家として性なのか、描くことへの情熱のような、執念のようなものを感じ、感嘆しました。
読んだことのない作品がたくさんあるので、ここから読んでみようと思っています。

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