万年青年:藤本英明 (大空まえる・明日香英麿・藤本楠庭)
透明水彩で描いてみました。
くらしきの宿・東町は、こうした往時のこの地方切っての豪商の造りや、庭園をそっくり残しながら、新しい感覚も盛り込んで、キメ細かく改装され、他に類を見ないほど、ゆったりとした、しかも目立たない贅沢さに満ちた”宿”と”食事処”として、古い街並みにしっとりとけ込んで、今に甦っています。 ”本モノの倉敷”が、ここに確かに息づいているのです。とのことです。 黄の針の如き衣を纏う海老 料理の技の見せ所かも 海老の揚げ物ですが、黄色く、細い針のようなもので覆われています。 何と
旅館・東町の別荘では、商家の旦那衆、俗に言う”白足袋族”が、芸者衆を揚げ、庭園を愛でつつ、春秋に盛大な宴会を催した、とも語り伝えられているそうです。 湯葉巻きの煮物を食めばゆくりなく 柚子の香りの口に広ごる 手の込んだ料理ばかりで、美味しく頂きました・・・・・。
宿・東町のたっぷりとした敷地の正面の広壮な店舗を中へ入ると、中庭、数寄屋造りの別荘、さらに、その奥へ手の込んだ庭園が広がっています。 当時、暮れには、町の中心だった界隈一帯で、誓文払いが行われ、街道に沿って露店が立ち並び、ガス灯のあかあかとした光の中、近在近郷から詰めかけた買い物客で、立錐の余地もないほど賑わった、といわれているそうです。 お座敷にちびりちびりと燗酒を 頂きながら料理味わう お酒は、それほど好きではないのですが・・・でも、雰囲気を味わってみました
倉敷の美観地区の外れ辺りの東町にある、東町という名の老舗旅館。 旧倉敷街道に沿った、くらしきの宿・東町は、明治初期に創業した呉服問屋・十六屋が、その最盛期に建てた前店と別荘だったものだそうです。 お座敷に人の楽しきお喋りを 聞きつつ宿の料理いただく 倉敷に、こんな素敵な旅館があるとは知りませんでした・・・・・。 つくずく吟行会に感謝したものです・・・・・。
薬玉の割れてタンカーゴオーッという 地鳴りと共に滑り行くなり どうやって滑らせているのかは分かりませんが、巨大なタンカーが滑ってゆくのです・・・・・。 感動です・・・・・。
タンカーを繋ぐワイヤー外されて ゆるりと台を滑り行くなり (進水式) いよいよ進水式です・・・・・。 くす玉が割れて、彩り豊かなテープなどを靡かせながら、タンカーは後部のほうから入水してゆきます・・・・・。
進水を待つタンカーの先端に 人影小さし前を見詰めて 大きなタンカーも近々進水式を迎えることでしょう・・・・・。 タンカーは、後ろのほうから海に入ってゆくのです・・・・・。 タンカーの先端に、一人の人影が、前を見詰めて立っています・・・・・。 くす玉も先端についていたと思われますが、記憶は確かではないのです・・・・・。
造船所のそばには、お寺があります。 寺の鐘鳴る音のむた朝焼けに 烏あまたも飛び交いにけり 造船所の大きな倉庫の屋根の上には、烏がたくさん止まっていました。 それが、そばのお寺の鐘が鳴ったとたん、いっせいに飛び立ちます。 朝焼け空をバックに、黒い烏たちがです・・・・・。
前回までで後楽園を後にしました・・・・・。 我が家の近くには、大きな造船所があります。 タンカーのオレンジ色の船体の 朝焼け空に紛れて眩し 大きなタンカーです。 オレンジ色の船体は、さび止めを塗っていたのでしょうか・・・・・。 ですから、なおさら朝焼け空をバックにして、眩しかったんだと思います。
後楽園を構成する庭石・樹木はほとんど郷土のもので風土に調和した景観構成をしています。 本園は地方まれに見る名園であり、海外に誇り得る大名庭園として、昭和二十七年(1952)文化財保護法による特別名勝に指定され、日本三名園の一つとされています。とのことです。 引き込まれ園を巡れる水流に 小型の水車さわさわ回る 後楽園の脇を流れる旭川・・・・・。 その流れを園内に引き込み、曲水としている・・・・・。 その曲水に回っている、小さな水車・・・・・。 さわさわ音を立てなが
後楽園の特徴は日本特有の茶趣味の手法が多く取り入れられると共に、広大な芝生と沢の池の広々とした水面の景趣が、瀬戸内の温暖な気候風土に似て明朗快活なことや、築山・池・芝生・曲水・園路・植え込みなどが優雅に配置され、いかにものびのびとして上品に造られているのだそうです。 薄青き日暮れ間近の空の雲 うすオレンジと灰色に染む 後楽園の夕暮れどき・・・・・。 空に浮かんだ大きな雲・・・・・。 灰色なれど、渕はオレンジ色に輝いていた、のだと思い出されます。 定かではありません
旭川の中州に造られた庭園ですが、清らかな水を引き入れて曲水・池・滝などに上手に水を利用したことは、造園上注目に値するものだそうです。 また、入口のほうへ戻ってきました。 茅ぶきの屋根整いし延養亭 園内一の客殿なると (田舎式寝殿造り) ここの座敷から眺めるのが、園内全体を見渡せ、一番良いのだそうです。
後楽園は江戸時代を代表する回遊式庭園で面積約13ヘクタールに及び、主建物の延養亭を中心に、烏城、操山を借景に取り入れ、園の諸所に祠堂園舎を配し、それらがおのおの景趣をもち、歩きながら移り変わる景色を楽しむようになっているのだそうです。 そして、園内の奥まった所に茶畑がありました。 黄緑の若葉の続く茶畑の 後ろに竹の林を控え 新芽が出そろっていたんですねえ・・・・・。 茶畑はそんなに広くなくて、後ろはこじんまりとした竹林でした・・・・・。
園の名称は、亭を主とすれば茶屋屋敷、園を主とすれば後園と呼ばれましたが、明治四年(1871)名実ともにふさわしい後楽園と改められたのだそうです。 園内のさざ波光る池の面を 白鳥一羽静かに泳ぐ 園の、ほぼ中央の池・・・・・。 そこを白鳥が静かに泳いでいる・・・・・。 絵になりますねえ・・・・・。
後楽園の完成後は池田家で使用していましたが、明治十七年(1884)に岡山県の所有となり、一般に公開されたのだそうです。 丹頂鶴の檻を離れ、しばらく行くと視界が開け、岡山城が望めます。 城望み池にさざ波立つ園の 芝生を巡る木々刈り込まる 園内から城が望めます・・・・・。 池にはさざ波が立っているのです・・・・・。 芝生を巡る路・・・・・。 そこに植えられている木々は、綺麗に刈り込まれているのです・・・・・。
日本三名園の一つ、岡山の後楽園です。 本園は貞享三年(1686)、備前藩主・池田綱政が、家臣・津田永忠に命じて十四年の歳月を費やし、元禄十三年(1700)に完成したものだそうです。 入園して、まず鶴の檻へ寄ってみました。 羽ばたきて狭き檻中とびたげに 飛び跳ねており丹頂鶴は やはり外へ出たいんでしょうね・・・・・。 無理もないことです・・・・・。 園内を飛ばせてやることもあるようですよ・・・・・。