性被害、セクハラ、パワハラなどの対応の仕方、それに対する闘い方、心的外傷の対応の仕方について


性被害、セクハラ、パワハラなどによる心的外傷で悩んでいる人へ、その対応の仕方とその克服について書いていきます。

一生を台無しにする前に、加害者への対応の仕方、加害者に対する闘い方、自分自身への対応の仕方、自分自身の守り方、被害の切り離し方、を考えていきます。

第一に、性被害、セクハラ、パワハラは、犯罪であるという自己認識が重要です。

性被害、セクハラ、パワハラを加える加害者の意図と根拠を知れば、それに対する対策は出来るかもしれません。

性被害、セクハラ、パワハラは、あなたより下にいる人間の目から引き起こされることが多いです。上のポジションにいるかどうかは、関係ありません。

性被害、セクハラ、パワハラなどあらゆるハラスメントに共通していることは、被害の大小はあれ、#加害者によるあなたの不本意な支配です#。それは、あなたの生き方の否定を意味し、あなたという存在の否定、です。しかも、それは加害者の一方的な欲求(相手を支配する)の結果(性被害の場合は、加害者の快楽的欲求を満たすため)として起こります。そこには、相手の生き方に対する尊重、尊厳はどこにもありません。

性被害は、殺人です。言い過ぎではありません。しかも社会が反対しても、完全には取り締まれない殺人です。この事実に対する自己認識が非常に重要です。性被害は、殺人です。セクハラも、パワハラも、根は同じですが、程度が変わるだけです。

支配者は、支配出来る相手がいるから支配者でいられるのです。此処が加害者の盲点です。そして加害者は、いつもターゲットを狙っています。そして加害者の言うことは、支配を目的とすると言う意味において、虚偽です。かならずしも事実とは限らないということです。

性被害の場合、女は男のものという間違った前提があります。女性は、男のものではありません。女性の幸せは、女性が決めるもので、そこに男が入り込む隙は、まったくないどころか、女の幸せに男は関係ありません。

したがって、女性にものをきかず、女はどうすべきこうすべきということを、男が決める権利は何処にもありません。

褒めてくる男も恐喝して女性をものにしようとする男も、根は、同じです。相手の女性の支配です。褒めてくる男がペテン師であることは、裏で相手の女性の支配を企んでいることから明らかです。褒めてくる男がペテン師かどうかは、オファーを断ってみれば一目瞭然です。真っ当な男は、断られても報復したり、することは考えません。

相手の一方的な欲求にあなたが犠牲を払う必要はまったくありません。

性被害、セクハラ、パワハラは、もっとも身近な人間によって起こされることが多いです。

そして往々にして、ひとりの時にこの災難は降りかかってきます。あなたを守ってくれる存在があれば、被害を受けても、打撃を被ることは、ほとんどありません。

強い父親でも良いし、家を守る兄弟姉妹、友人でも何でも良いです。第三者的存在が理想です。

(ここで重要なのは、女性を狙う加害者は、その時点でその女性の父親を舐めています。逆を言えば、父親は、家を守っている限り、生きているいないを問わず、永遠の守護神です。)

加害者は、あなたが一人で抵抗をしそうもないときに、近寄ってきます。

権力には権力で闘えます。こちらが他者の力を得て強い立場に立てればです。

相手から被害を受けたと感じるのは、自分の意思に反する言語上、身体的な暴力により、相手の支配ゲームに巻き込まれてしまう時です。

こうなると相手の思うつぼです。結論から言うと、ここから抜け出すのは至難の業です。ここから抜け出すためには、相手に一切を頼らず、自分のできることで生きていく覚悟が必要です。

相手は、相手を利用し、快楽的な支配のゲームをしてるのです。何度も言います。相手は、あなたを支配することで、自分の快楽的欲求を満たしているのです。

その強権的な支配者である人間と関係を切るためには、すべてを捨てて応戦する覚悟と決断をしなければなりません。

それしか、自分自身、幸福、心の安定を取り戻す方法は、ありません。

そして、相手がどのようなゲームをしているかを、正しく認識することです。

たとえ、性的被害を受けても、根本は、あなたの意思に反する自分の快楽的欲求の満足であり、あなたの支配です。性的被害は、その結果です。性的被害にだけフォーカスすると、そこから抜け出すことが出来ません。

相手があなたを支配しようとするゲームをしていることがわかれば、報復が出来ます。相手からの支配という文脈を断つことで、被害者意識から脱却し、相手などなんでもなかったんだと言うことがわかります。

性被害、あらゆるハラスメントに関しては、勝たなければなりません。誰でも自分より強い加害者に勝つことはできます。

間違つても、馬鹿な精神科で泣き寝入りだけはやめましょう。精神科は、ゲームに勝つための方法は、何も教えません。

私は、精神科医でも法曹界の人間でもありません。ここに記述することは、いろいろな被害者の実際の経験を下に、両親の死という代償を払い、長いプロセスを経て、それをどう克服したか、を扱つていきます。

もっと早く健全な考え方がわかっていれば、こんなに素晴らしい筈の人生を無駄にする必要はなく、両親を不幸に他界させる必要もなかった筈だからです。

無能な精神科医(日本版DBSのように、薬による男権力を振りかざす精神科医については、実名を公表すべき)を信じてしまったり、公訴時効を迎えてしまつては、法的な制裁は出来ません。被害の克服には、公訴時効どころか、一生かかるかもしれないのです。

どのような経緯で、被害は起きたのか、それに対し、周囲はどういう対応をしたのか、加害者は何を意図していたのか(加害者の意図がわかれば何も怖くない)、加害者に対する法的制裁は出来るのか、治療?(こんなものが治療?無能な精神科医は、被害者の人生に責任を負わないどころか、健全な精神を崩壊させ、病気にさせる)のプロセスと、健全なる自分を取り戻し、どのように心的外傷を克服するかを書いていきます。

ここでいう心的外傷とは、「心的外傷と回復」ジュディス、L、ハーマン著、みすゞ書房、で記述されていることに則ります。

この本は、心的外傷が、戦争に行った人たちと同じくらいのストレスを与えるものであると、記述しています。

戦争?ここ、日本じゃないの?日本て一番世界で安全な国な筈じゃないの?

<家という安全神話>

女性のいる家において、父親は、その家の守護神です。父親が生きているいないを問いません。

その家に近づくどのような男も、その家の父親と合う限りにおいては、その家の女性は安全です。

逆に、父親と合わない男は、潜在的な殺人者、家の破壊者と等しく、家に招き入れてはなりません。

人が入らなくなった家は終わりだという意見があります。が、家は守られてはじめて家としての意味があります。家の中に不幸がある時、潜在的な外敵に格好な侵入機会を提供します。

もっとも注意しなければならないのは、家です。女性がいる家です。家の中にいる男性、隣人を含め、周囲はすべて潜在的な敵と考えるべきでしょう。

女性が家の中で警戒感を忘れた時、あらゆる機会を狙って侵入しようとする敵を引き寄せます。

なぜなら、支配欲のない人間(男)は世の中一人もいないと考えて良いからです。

家の中で闘っている女性に権力はありません。何の権力もありません。

その家が無くなってみれば、これは一目瞭然です。


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