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○○みたいな人生

この記事は俺がここ20年生きてきて刹那に思った「この瞬間って『人生』みたいだな」って思った瞬間を覚えてる限りまとめます。

何言ってんだ?ってなってると思うので、まず例から提示していきたいと思います。

例:「メロンパンみたいな人生」

メロンパンって、端っこの固いクッキーみたいなところがうまいじゃん?

それでよくメロンパンの中のパンだけを先に食べて、メロンパンの端っこのクッキーみたいなところを後に食べる癖があるのよ。

でもそれって本来の食べ方じゃないじゃん?本来はまっすぐパンのところも端のところも食べていかなきゃいけないじゃん?

だからそれみたいに「不正を冒してまで好きなところを味わい続けたい」っていうのが人生みたいだなって思って。そういう快楽を求めてしまう姿勢がね。

こんな感じが続いていきます。なんとなく趣旨が伝わったかもしれないという前提で、ほかにも「人生」を感じた瞬間をつづっていきます。


「少し多めに出しすぎた、あふれてしまったシャンプーのような人生

自分が潔癖症というものあってシャンプーを必要以上に多く出しすぎてしまうことがあるわけよ

それでいつものように使っていたら泡になり損ねたヘアシャンプーがたまたまひと塊、タイルに落ちたわけよ。

それを見て「才能があったはずなのに誰にも注目されることなく終わってしまうような人生」みたいだなあって思った。

本当はその落ちたそれにもシャンプーとしての用途が、素質があったわけで。でも地面に落ちたらそれは水に流される泡と同じで。

誰にも見向き去れずに終わるシューベルトみたいな人生を感じました。

「地下鉄の乗客のような人生」


地下鉄って外の景色が見れないじゃん。見れたとしても時折見れる暗いトンネルの蛍光灯を眺めるだけしかないようなさ。景観の観点からいうと0点のようなものが多いじゃない。

僕自身が電車のいいところを「訪れた、過ぎ去る場所を外から見れること」っていう風な考え方をしてるんですよね。だから僕にとって外の景色がない地下鉄は敵なんですよ。地下鉄のファンには申し訳ないですが。

つまり「周りのことを考えたりせずに、ずっと自分本位で生き続けている人生」っていう意味。

ずっと突っ走って生きてきて。んで、気が付いたら周りには何もなくて。そんな悲しい人生みたいなさ。

それで本人もそのことに気が付いて自分の人生を振り返るんだよね。死んだときに。悲しいね。


「チャックの歯がかみ合わないような部分の人生」

これは「相手と自分との考えがちょうどかみ合わない」的なことではないですよ。

ちょうどいま僕のリュックが壊れてるんですよ。僕の癖としてよくやっちゃうのが、『壊れた部分をチャックの境目にする』ということをしてるんですよね。

境目っていうのは要するにチャックの止める部分みたいなさ。伝わるかな。伝わってほしい。

だからさ、そのチャックの壊れてしまった部分は、開けるやつの境目としての利用価値しかないわけよ。

またそこを境目にせず普通に開けるやつが通っちゃったらまた壊れてってなったらすごいめんどくさいことになるじゃん、、、?

だから「チャックの歯がかみ合わないような部分の人生」っていうのは、「その所属している場所の中でかがやけないような人生」って意味。

でもそういう人って隠れた才能みたいなのがあってたまたまそのいる場所で評価されてないっていうだけだと思う。実際はね。でも壊れたチャックに関しては使い道ないけどね。

とりあえず、今日はこんな感じで人生集は終わります。

ほかにも見つけたら話すかも。
またな~~~


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