卒論進捗


10月10日
概要

 1955年11月に結党した自民党が誕生し、70年。岸田の交代により、総理の数は30を超え、かつその内4年間を除き、日本は70年近くを同一政党による政権である[i]。同時に、敗戦処理もひと段落した戦後10年に保守・革新とも安定した政治基盤が形成されたが、政党による政権交代は起こらず、加え、70年で30人という、1人当たり2年、衆議院任期半分の期間による政権が量産された。日本政治と言えばかつて、「経済一流、政治二流」と言われ、政治の役割は、民間の邪魔をしないというのが関の山であった。それを踏まえれば安倍は史上最長政権を樹立し国民の支持を受け、実際に、海外のシンクタンクによる調査では、国際社会において外交・安全保障による貢献が高く評価されている[ii]。しかし一人の人物による長期政権が作り上げた一過性・属人的なシステムや、同一政党の政権による、憲政史の汚点ともいえる腐敗や驕りを容認することはあってはならない。
 そこで日本の議会制の模範とされて久しいイギリスの議会制に注目をした。その点、イギリスは戦後80年で20人に満たず、一人当たり4年超、政党による政権交代も9回に登っている[iii]。比較するべき対象である理由については、議院内閣制がその代表例で、イギリス国王の地位・権限と日本の象徴天皇性による親和性や、1990年代日本の政治改革の正当化論として使われた「ウェストミンスター・モデル」がその例である[iv]。ウェストミンスター・モデルは、イギリスの議会制度とその運用をモデル化したもので、国民が選挙を通じて総理大臣の選択を可能とするため、小選挙区制の下で二大政党がマニフェストを示して選挙を戦い、連立政権ではなく単独政党が過半数の議席数を得て政権を担当し、恒常的に政権交代を実現し、民意を反映させることを指す。
 ウェストミンスター・モデルの学説として、与党と立法府の一体化を目的としているが、日本は「政治改革」以降、与党権力が肥大化したその帰結として、安倍政権により「モリカケ」に端を発した総理周辺の疑惑や、「強すぎる官邸」による人事権を振りかざすことで、行政機構が一体となって官僚が政治に対する「忖度」も生み出した。本来、官僚は、憲法15条にある通り、「政党」ではなく、国民全体に対する奉仕者であって、「忖度」を生み出してしまった背景や、特定政治家におもねるようなことによるインテリジェンス機能の低下を憂い、与党・議会関係、政官関係を中心に日英を比較し、政治学でのアプローチで日本政治の改善に向けた提言を目指したいと考える。

[i] 首相官邸(2024年10月3日)「歴代内閣」https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/index.html (最終閲覧:2024年10月3日)[ii] 政策シンクタンクPHP総研(2016年1月19日)「2016-No.32 アメリカから見た日本」https://thinktank.php.co.jp/kaeruchikara/1924/?Print=1 (最終閲覧:2024年10月3日)

 [iii] AFP News(2022年9月5日)「1945年以降の歴代英国首相」https://www.afpbb.com/articles/-/3421520 (最終閲覧:2024年10月3日)

 [iv] 高安健将(2011)「動揺するウェストミンスター・モデル? ―戦後英国における政党政治と議院内閣制―」『レファレンス』平成23年12月号、34ページ

https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3196932_po_073103.pdf?contentNo=1

10月17日
方法

 まず、日本において、「保守」が一強となった背景について考察したい。それもあって、日本政治でいう「保守」とは自民党のことを指し、政治学でも行政学の論文でも「保守」と言えば自民党であり、「保守系議員」や「保守系市長」とはその政治家個人の思想・信条ではなく、自民党という組織から支持・支援を受ける、という代名詞となっている。一方で、保守の対局として指される「リベラル」の場合、「リベラル系議員」、「リベラル系市長」と言われても、古くは社会党や民主党、共産党と定まらない。それだけ日本にはもはや政党組織がイデオロギーの代名詞となるほど、国政から地方自治に至るレベルまで根付いている。それだけ一強となった実像を政策立案の観点から分析したいと考える。
続いて、そのケーススタディとして、安倍政権を考察したい。先述の通り、憲政史上最長の長期政権を樹立し、その卓越したリーダーシップで国民的支持と、山積する諸課題の対応に当たった。しかし、政権後期になれば、一強によるひずみで「歪んだ」政治主導や、「魔の2回生」という言葉も生まれ、相次いだ与党議員らの不祥事による「驕り」が見られた。その総括として、ハードでは史上最長政権を樹立し得た制度や仕組み、ソフトでは人的・人脈の両面を検証したいと考える。
3つ目は、比較するべき対象としての、英国制度「ウェストミンスター・モデル」との比較だ。しかし留意すべき点として、恒常的に政権交代が起こる理想モデルとして見られるが、同国でもやはり「保守」が優位であることだ。大統領の権限はもちろんだが、イギリスの首相は、世界でも稀に見る議院内閣制における傑出したリーダーシップを持ち、そんな英国首相が束ねる「保守党」と「労働党」の内面を見ていきたい。保守優位の体質でありながら、現在の日本は最後の政権交代から12年となる中、イギリスではそのブランクを上回る14年ながら単独で与野党が逆転をした「馬力」を持つ所以や、歴代政権が改編されながらも行政運営してきた制度を考察するつもりだ。
最後はこれらを踏まえ、日本の政治制度の根本的な問題点をあぶり出し、課題は含み、もがきながらも政治不信を克服した英国制度を参照し、日本の議会制向上、延いては統治機構の改善に役立てる具体的な提案について記したいと考える。

10月31日

2.自民党を解剖する

2-1.自民党、一強の実像小泉・安倍政権以降、政策決定上の主導権が総理官邸にあることから、官邸主導という言葉が使われる。ところが、同党は結党以来、内閣が国会に提出する内閣提出法案や予算案などを閣議決定する前に、党の審査を経て了承を得るという慣行が続いている。自民党による事前審査は、政調会の部会から始まる。部会は、それぞれの名称が党則に明記されている常設機関であり、基本的には、「農水」と「水産」、「内閣第一」・「第二」を除き、政府の省庁および国会の常任委員会に対応して設けられ、日本独特の政治文化を形成した[i]。「部会中心主義」という言葉が使われ、自民党の政策決定の中心は部会であり、法案などの内容に関わる修正の多くも部会で行われている[ii]。事前審査の次なる段階・最終段階は、総務会である。総務会は党大会や両院議員総会に代わる自民党の常設的な最高議決機関である。党役員人事の承認、党大会の開催決定など権限は多岐にわたるが、政調会が決定した政策案の了承も含まれる。総務会で可決された法案や予算案は「党議」となり、閣議決定に進められる一方、国会では党所属の衆参両院議員に党議拘束がかけられ、造反は処分の対象となる。

 2-2.重層的な調整メカニズム
部会では関連する省庁との間での調整が実質的に行われる。内閣提出法案「閣法」の起案は、基本的に官僚によって担われるが、部会に出席して説明・答弁し、そこでの議員の発言を受けて字句を修正するのも、官僚である[iii]。要綱の作成はもちろん、それ以前の段階でも、官僚は族議員の意向を聞きつつ作業を進め、法案作成の実務を担当する官僚は、自らの省庁の方針との折り合いをつけながら、部会での審議の結果を組み込んでいくのである[iv]。部会に参加する議員の背後には、関連する業界団体が存在する場合が多く、選挙での票や政治資金獲得を目標とし、部会を通じて法案や予算案に影響力を行使し、業界の意向を反映させようと努める。それが組織化されたものが議員連盟「議連」である。自民党政調会の部会は、政治家・官僚・業界=政官業によって構成される「鉄の三角形」の調整の場となっている。族議員と関連する省庁の官僚の間には、官から政へ「ご説明」を受けるという日常的な緊密関係がある。同じような関係が業界団体と所管省庁の間にも存在し、法案が作成される初期の段階から業界の意向が取り入れられている。
[i] 自民党(令和6年3月17日)「構造図・党則」https://www.jimin.jp/aboutus/organization/ (最終閲覧:2024年10月3日)

 [ii] 奥健太郎(2018)「事前審査制の導入と自民党政調会の拡大 ―『衆議院公報』の分析を通じて―」『選挙研究』34巻、2号、39ページ

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaes/34/2/34_33/_pdf 

[iii] 飯尾潤(2004)「財政過程における日本官僚制の二つの顔」『RIETI Discussion Paper』、4巻、7号、9ページ

https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F8744523&contentNo=1

11月7日 

2-3.族議員
自民党の政策決定の中心は、政調会の部会およびそれに準じる「調査会」などにある[i]。先述の通り、部会は平場と呼ばれる枠組みで議論がなされるが、運営や調整は部会長や調査会長をはじめとする役員の手に委ねられている。実際、政策決定の実権は、部会の役員ではなく、族議員と呼ばれる中堅議員の集団に握られている。当該政策分野の族議員の意向を聞きながら部会長は部会の運営を行い、省庁や業界団体との間で最終的な妥協を図るといった重要な決定も、部会長を含む族議員の非公式な会合でなされる。それを通じて「政策通」として認知され、関係する省庁の事前協議や根回しの対象になるという。族議員の影響力上昇は、官僚に比べて高い調整能力を有することに起因し、複数の政策分野にまたがるような課題が相次いで生じたことへの期待であった。

 2-4.与党内リーダーシップ
複雑な利害関係が絡んだ与党において、どのようにして総理はリーダーシップを発揮したかを見たい。事前審査制は、ボトムアップとコンセンサスを重視し、多様な利益の包摂と調整を可能にする一方で、協力に反対する議員がいる場合、事実上の拒否権となって決定が難しくなり、リーダーシップの弱体化を招くだけでなく、説得や交渉・取引がなされ、「決められない政治」の温床としての批判を受けてきた。そうした構造を敢えて利用した竹下のような総理・総裁もいる一方、中曽根や橋本らは法案や予算案を官邸主導で作成し、党の事前審査手続きにかけ、早くからリーダーシップを発揮することで「大統領型総理」を標榜し、トップダウンの官邸主導とボトムアップを両立させていた[ii]。こうして、自民党の政策決定は、自由に発言できる部会・全会一致が前提とする総務会というボトムアップかつ民主的に行われている。しかしプロセス上は民主的でも、立法機関から外れた非公式かつ非公開の「党」で官僚=行政府との実質的な政策調整・決定に当たる部分に課題があるのではないかと考える。


[i] 奥健太郎(2016)「自民党結党直後の政務調査会 ――健康保険法改正問題の事例分析――」『年報政治学』、67巻、2号、121ページ

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku/67/2/67_2_120/_pdf/-char/ja

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku/67/2/67_2_120/_pdf/-char/ja

[ii] 武蔵勝宏(2008)「政治の大統領制化と立法過程への影響」『国際公共政策研究』、13巻、1号、277ページ
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/12292/23-21_n.pdf

11月14日

3.示唆に富んだ安倍政権
3-1.安倍政権とは
 7年8ヶ月に渡り、日本の憲政史上、安定政権でもあり、最長の政権であった。しかも、第1次政権を担当し、政権運営に失敗した経験を持っている。第2次政権は、安倍が再挑戦し、カムバックを果たした政権であった。安倍政権は、日本が直面する重要な国家的課題のほぼ全てに取り組んだ[i]。デフレ脱却と経済成長、日米同盟強化と対中抑止力構想、貿易の自由化とルールづくり、コーポレートガバナンス改革、女性活躍と働き方改革、政府の危機管理能力の強化など、成否は別として、同政権が格闘した政策対応と統治のありようを検証し、教訓を真摯に学ぶことが求められるだろう。しかし一方で、当人や「安倍政治」に対しては、「官邸一強」、「安倍一強」による権力のおごりを感じる向きも多かった。何よりも安倍政権の場合、政治姿勢は保守そのものでありながら、政策は多分にリベラル的な色彩を帯びるケースもあり、一筋縄ではない政策展開と政権運営を行い、戦略と統治のありようには、積極的なアジェンダ設定や、能動的に遂行しようとする理念的・行動的な政治を特色とし、現実的かつ実務的な取り組みを旨とした。いわば、筆者は安倍政権を現代日本の合理主義が生み出した「究極体」として位置づけ、同項目ではケーススタディとして、安倍政権の功罪について検証できればと考えている。
 3-2.「公式」・「非公式」にわたる官邸主導を成し得た背景
 民主党政権に触れると、「事務次官等会議」を廃止し、行政権を担う内閣を合議体として機能させ、閣僚委員会によって省庁間の政策調整を行った上で、各省庁の内部で閣僚を含む政務三役が官僚を統御することを目指した。しかしそれが「一から百まで」を政治家が担うには荷が重過ぎ、政権運営は破綻を来した[ii]。
 それを踏まえた安倍政権の政策立案過程を見ていきたい。安倍政権には公式の「ライン型」と非公式の「スタッフ型」というストリームが存在していた[iii]。ライン型の官邸官僚とは、第2次安倍政権に特徴的なのは、総理官邸で官僚出身者=「官邸官僚」に対し、総理や官房長官などの官邸首脳が官邸官僚を使って各省庁の官僚を直接コントロールする傾向が強かったことだ。正規ルートとして、官房長官・官房副長官・官房副長官補という内閣官房の「ライン」である。官房長官と2名の政務の官房副長官は政治家であるが、1名の事務の官房副長官と3名の官房副長官補は官僚出身者が就任する。この「内閣官房ライン」の内、官僚出身者のポストで最も重要なのは、事務の官房副長官と内政担当の官房副長官補であり、これらのパフォーマンスの高さが、第2次安倍政権の「官邸主導」に大きな役割を果たしたと指摘されている。続いて、「スタッフ型」の官邸官僚は、官僚出身の総理秘書官や補佐官である。総理や官房長官と緊密な個人的関係を持ち、高い能力や豊富な経験が起用された主たる理由であった。「スタッフ型官僚」は選挙で選ばれた特定政治家の「化身」として「正規ルート」では扱うのが難しい案件を処理していた。例に、2度に及ぶ消費増税や北方領土問題の日ロ交渉などである。このように正規の「ライン型」と総理や官房長官の委任を受けた「スタッフ型」の二丁拳銃で省庁間調整・官邸主導を司っていたのだ。

[i] 言論NPO(2017年10月11日)「安倍政権5年の11政策分野の実績評価【経済再生】」
(最終閲覧:2024年10月4日)
https://www.genron-npo.net/politics/archives/6747.html

[ii] 小峰隆夫(2022年10月8日)「民主党時代の経済・財政政策(2) 政治と官僚の関係を考える」小峰隆夫の私が見てきた日本経済史 (第109回)https://www.jcer.or.jp/j-column/column-komine/20221018-3.html (最終閲覧:2024年10月4日)
[iii] 田中秀明「第2次安倍政権における政策形成過程のガバ ナンス ―コンテスタビリティの視点から―」『年報行政研究』、54巻、5号、63ページhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jspa/54/0/54_04/_pdf





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