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episode1:Doctor Who

「宇宙への憧れは、やっぱり人間誰しも持ってるもんなんだろうねぇ」
日野は、ナゲットを口の中へ放り込みながら言った。カウンター越しの視線に、速水は食器を洗う手を止めずにアイコンタクトを試みる。
すると、日野はニンマリと笑って勿体ぶるように油のついた指をペーパーで拭った。
「昨日ね、久々に見たんだよ。宇宙のドラマを」
「宇宙のドラマ、ね」
「何か分かる?」
「さぁ」
「ちっちっちっ。ドクター・フーだよ。50年以上の歴史を誇る長寿SF英国ドラマなんだからね」
「わかりにくい。どんな話?」
速水がじっとりとした目を向けると、日野は斜め上を向きながらゆっくりと語り始める。
「主人公はドクター……のはず。俺としては、ドラえもんみたいなもんだと思ってるけど。まぁいいや、見たことないみたいだから簡単に設定を教えとくよ。まず、ドクターはかなり長生きの『タイムロード』って種族の宇宙人でね、『ターディス』っていう青い電話ボックスの見た目をした……うーん、まぁタイムマシンみたいなものに乗って旅をしてる、いわば時間と星の旅人なんだ。で、『コンパニオン』って呼ばれるイギリス人の女の子や男の子と色んな所へ行って、事件を解決したりできなかったりする。ドラえもんみたい、って言ったのは、このコンパニオンも主人公としての役割を務めてると思うから。ドクターとコンパニオンは複雑なんだ。足りないものを補い合ったり、喧嘩したり、恋したり。そこもまた見所なんだよ」
一気に説明し終えると、日野は水を飲んだ。そして速水を見詰め、視線で理解度を問いかける。速水は、しばらく黙り込んで頭の中を整理したあと、一つ頷いた。
「探偵要素有りのSFロードムービー、っていう理解でいいのか?」
「実に簡潔だねぇ。まぁ、いいんじゃないかな。……あ、大切な設定を伝え忘れてた。ドクターはね、12回だったか13回だったかに限って、死ぬと同時に肉体が再構築されるんだ。再構築されると記憶は引き継がれるけど、見た目や性格が変わる。それに伴って、自然とコンパニオンも新しい人になる。この設定がすごく大事でね、だからこそこのシリーズは面白いんだぁ。お気に入りのドクターやコンパニオンを見付けて推しにする人も多いよ。俺も、お気に入りのドクターとコンパニオンがいるんだ」
「……転生モノ?」
「厳密には違うんだけど……ちゃんと理解するには、見た方が早いと思う。一人のドクターに、主に二人のコンパニオンがいる感じかなぁ。どっちのコンパニオンとの関係性が好きか、とかもあるかもねぇ」
日野は、顎に手を当てて考えるような素振りをした。速水は肩を竦めて続きを待つ。
「十代目から十二代目までの、ごく短い期間の話しか見てないからなんとも言えないんだけど。俺は、ドクターなら十代目、コンパニオンなら十一代目と十二代目に出てきたクララが一番好きなんだぁ。もちろん、みんなユニークで好きなんだけどね」
「十代目、クララ……」
「十代目のドクターは、好奇心旺盛でちょっと神経質で、胸の内にナイフを隠してる感じが好きなんだ。怒ると怖いんだよぉ? ドクターの頭の良さと、ある種の冷酷さが際立ってたような気がする。よく喋るのは俺が見た三人のドクター全員に共通するんだけど、十代目が一番早口でよく喋ってたイメージだなぁ。だからこそ、静かになった瞬間がゾクッと来るんだよねぇ。彼の台詞で好きなのがね、『正しく言葉を使えば、人を泣かせることも出来る。歓喜の涙も』みたいなのがあって、好きなの。なんか響いたんだよねぇ。あ、コンパニオンのクララはかっこいい女性なんだ。芯があって、凛としてて、頭の回転も早い。ドクターよりずっとずっと年下で、か弱い存在のはずなのに、ドクターを教え導く先生みたいなんだ。ドクターにないものを、一緒に見付けたり、教えたり……運命って言葉が良く似合う女性だったよ。『逃げて、お利口さん。覚えていて』って言葉が彼女を表す大きなものとしてあるんだけど、本当に彼女らしいなって思うよ。強くて儚い女性、って人物像を表してる感じがしてね」
日野の表情は、まるで恋をしているかのようだった。うっとりと、作品の中の人物たちに思いを馳せている。それに苦笑いしつつ、速水は料理を作る手を動かした。
「話を一つずつ紹介してると長くなりすぎるから、それは追々自分で見ていってね。あ、俺としては十代目から見て欲しいかな」
「はいはい、気が向いたらな」
「ありがと〜。……ドクターはね、総じて孤独なんだ」
「コンパニオンがいるんだろ?」
「まぁ、ね。でもそれは、孤独だから連れているんだよ。ドクターは頭も良くて、まるでヒーローみたいに活躍する。でも、彼は『孤独な神』と称されたこともあるんだ。彼は、星を追われた身ってことみたいでさぁ。それに、戦争を終わらせるために、自らの手で生まれ故郷の星を爆破してるんだよ。だから、帰る場所も本当の意味での仲間もない。たった一人、広い宇宙の中でたった一人のタイムロードなんだ。なんだろうなぁ、俺はそこに惹かれたんだ。いつもどこか寂しそうでねぇ。そして、そんな孤独な宇宙人と一緒に旅をする人間。……設定からして、とっても興味深いだろ?」
「確かに、面白そうだな」
速水の言葉に、日野は満足したらしくニコニコと笑いながら身を乗り出した。
「俺はさ、ドクターになりたいんだ」
「コンパニオンじゃなくて?」
「モチのロン! 青い電話ボックスに乗った王子様を待つ人間にはなりたくない。そりゃあ、この世界から連れ出してくれる神秘的な存在ってのはワクワクするし、いて欲しいよ? でも、俺は迎えを待つのは得意じゃないんだよ。それに、誰かに手を差し伸べられて何かを与えられて翻弄されて、なんて柄じゃない。コンパニオンもドクターに色んなものを与えるし、振り回すけど、だからこそ俺はドクターになって、コンパニオンを連れ出しに行く方に憧れちゃうんだ。たった一人の理解者に、吸い寄せられるように巡り会っちゃう孤独な人物……ロマンしかないだろ?」
早口に言い募り、同意を求めるように視線を向ける日野に、速水は少しだけ笑って見せた。日野は、ハイテンションで話し続ける。
「ドクターが"連れ出す者"なら、コンパニオンは"引き上げる者"だと思うんだよねぇ。ドクターは、膨大な知識と度胸でもって難問に立ち向かう。だから、広大な世界の多くを知ってるし、対処もできる。その性質があるからこそ、コンパニオンを日常から連れ出して広い世界を見せることができた。でも、多くを知りすぎているせいで見えなくなってることも多少はあるんだ。そこが宇宙人ぽくて好きなんだけどね。対してコンパニオンは、ごく普通に生活してきた人間。肝は座ってても、知識ではドクターに大きく劣る。教わりながら、少しずつ宇宙の広さを知っていくんだ。この過程が何より大切なんだよ。ドクターに知識を渡されたことで、コンパニオンはドクターと同じものを見ることができていくようになる。でも、その見方が違う。人間として、帰るべき日常を背負う者として、目の前の事象をどう解決するのがいいのか、ドクターには難しい視点で答えを導く。その考え方や生き方は、ドクターを変えていくんだ。より優しく、より強く、より賢くね」
立て板に水で降り注ぐ言葉の雨を浴びながら、速水は適当に相槌を打つ。作り終えてしまった料理に目を落とし、もう少しだけ話させてから出してやろうと決めた。
「それで、お勧めのエピソードは何?」