落選して気づいた本当の「なぜ私は書くのか」
やらなきゃいけないことがたくさんある。
考えなきゃいけないこともたくさんある。
でも、それどころではない。
昨日の夕方、とあるnoteの記事を読んでから、頭を殴られたような衝撃と、ばくばく高鳴る心臓の動悸で何も手につかなくなってしまった。
私は編集者の藤原華さんが主催するこちらのコンテストにエントリーしていた。
このコンテストは中間選考の審査を華さんのマネージャーであるジャスミンさんが担当し、最終選考は華さんが行うという形で開催されていた。
結果発表は今日であったが、中間選考を担当したジャスミンさんの、
「落ちた方に落とした理由を伝えたい」
との、たっての思いで、発表を前にした前日に、落選者の落選理由を伝える記事がアップされていたのだ。
読んだ瞬間、自分は落選したということが分かった。
自分が選ばれてどうにかなるとも思っておらず、期待していたわけでもなかった。
つまり、落選したことがショックだったのではなかった。
自分が文章を綴ることに何の意味があるのだろう?
私は文章を書き続ける資格はあるのだろうか?
という根本を問うショックである。
ちなみに私がエントリーしたのはこちらの記事だ。
この記事を作成した時点で私は書く理由が分からなかった。
好きだから。
何かを伝えたいから。
でも何を伝えたいのか、書くことを通して何を成したいか。
それらが分からないまま、今年再び、「書くこと」を始めた。
その中で私が書く原点になった、母が私に作ってくれた絵本のことを思い出し、なんで私はそれにそんなに夢中になったんだろうと考えた時に、
「たった一人のために作られた絵本だったから」
と気づいた。
だから私も、そんな文章を書きたい。
悩めるたった一人に届く文章を!!
……というのが本記事の趣旨で、同じく文章を書く理由に悩める人に小さな気づきをシェアしたいくらいのささやかな気持ちで書いたと思う。
でも落選理由の記事を読んで、果たして私の書く文章が誰のなんのために存在して、何の役に立っているのか??分からなくなった。
特にナイフのように突き刺さった落選理由は以下の2点。
①「だから、何?」に答えられないなら、その一行は書くべきではない
②実行できていないから
これを読んで、携帯でスクショ撮って、何度も見て、ずっと考えてたんです。
ノウハウなどのコンテンツならまだしも、そうじゃない文章で、「得」を与えることなんて、私にできるのか?
ましてや、「なぜ私は書くのか」なんて、知りたい人もいるわけもないネタで。
そして、まさに私が作成した記事で
「悩める一人届く文章を書きたい!!」
とか書いてたけど、そんな文章書けるか?
自分はコンテンツとしての中身も、能力も何もない人間で、本当に文章書く意味も資格もないんじゃない??
悲しくて苦しくてどうしようもない気持ち。
そう、これはまさに。。
「自分の文章に自信がなくて吐きそう」
この記事は、藤原華さんが本コンテストの参考作品として提示していたもの。
記事の中で新人編集者の華さんが、1人前になるまで3年かかった話、なかなか文章が上達しない中での苦闘が描かれています。
私はこのnoteコンテストに応募して、落選して、その理由を知って、人生で初めて、
「自分の文章に自信がなくて吐きそう」
を実感することができたのです。
それを実感してから参考記事を読むと、心への浸透がまるで違いました。
落選理由を眺めながら、こんな無価値な文章書くことなんてもうやめた方がいいんじゃないかと思いました。
一方で、その絶望の中で、どうしたらよい文章が書けるのだろう。
華さんも死ぬほど努力された。
私もできることまだあるかも。
華さんがやってたように、まずは誰かに読んでもらって添削してもらって・・・
などと、まだうまくなりたいと思う自分がいることに気づきました。
なんで、私は文章がうまくなりたいんだろう。
特に意味も価値もない文章を生み出しておきながら、それでもまだ書きたいと思う。
その理由は何なんだろうと。
それこそが、
「なぜ私は書くのか」
ではないのかと。
読み返してみると、私の応募した記事は、確かに耳障りのいいきれいごとを並べているだけ。
「たった一人に届く文章を、書けるようになりたい」
という願望ではあるけど、それをどうしていけば実現できるのか分からない。
で思考停止していました。
私がそれでも書きたいのは、やっぱり書くことが好きだから。
誰に認められるものでもなくても、誰に届くものでなくても、
書いているときは自由に、ありのままの自分でいられるから。
これがきっと根っこにある本当の理由。
きわめて自己中心的で、独りよがりで、それこそ知らんがなな理由だけど、きっと繕った文章じゃなくて本音で書けていなかったから、何も伝わらない文章になってたんじゃないかとも思う。
結局まだ私は、この先自分が「書く」を通して何を成すか、何を伝えるかは分からないけれど…
このコンテストに挑むことで、自分の文章の未熟さを痛感し、まだできる努力もしていないということに気づく
「スタートライン」
に立たせてもらえたこと。
「なぜ、私は書くのか」という設定されたテーマに向き合うことが、打ちのめされても書くことをあきらめない軸になること。
そんなことに気づかせてもらえた、今回のコンテストでした。
それでも自分の中身と力のなさに泣きそうになるし、震えるけど。
一歩ずつ、やっていこうと思います。
このような機会をいただいた、藤原華さん、ジャスミンさん、ありがとうございました。
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