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正解が分からなくてリップ1つも選べなかった話
何年か前に海外旅行に行った際のことである。
帰りの空港で免税店に立ち寄った。
せっかくだし、ちょっといいリップが買いたくなったのだ。
お店はどこでも良かったのだけど、なんとなく目についたクリスチャンディオールの店舗に入った。
どれがいいのか分からないけど、とにかくいい感じに見えるやつ。
流行ってるやつ。
そんな、「なんかよくみえるやつ」が欲しかったのだ。
店員に声をかけ、尋ねた。
「Which one do you recommend?]
(おすすめはどれですか?)
店員のお姉さんは特に愛想を振りまくでもなく、淡々と一つ選び、私に差し出した。
ルージュディオール666。
紅とピンクの中間色のような色だった。
日頃どちらかというと薄い色の方が無難に肌になじむ私は、少しだけためらって、テスターで紅を引く。
「How's this?」
(どうですか?)
再び私は尋ねる。
この少し紅いリップは私でも似合っているのか?
変じゃないのか?
プロの意見を仰ぎたいのだ。
「What do you think?」
(あなたはどう思うの?)
店員は少し呆れたように問い返した。
そう、youにアクセントをつけて。
そんなことを私に聞いてどうするのか?
おすすめを聞かれて提案した。
あとはあなたが気に入るかどうかじゃないの?
そんな辟易したようなニュアンスを感じた。
なんだかものすごく恥ずかしくなった。
そう、私はいつも自分がどうしたいのか分からない。
自信がない。
とにかく無難に見えるには?
それなりに見えるには?
ださいとか思われないやつはどれ?
何か正解を求めて尋ねるのだが、そんなことを気にするのはとりわけ海外のひとからすれば、不思議で仕方がなかったのかも知れない。
食事の時もそうだ。
好きな食べ物は、もちろんある。
だけどメニューを見ながら選ぶとき、私はいつも感覚ではなく思考が先立つ。
「いや、でもこっちの方が200円安い」
「昨日も結構カロリーを摂取したからこれよりはこういうあっさりしたものにした方が体にいいのではないか?」
「晩御飯も麺類だから今パスタにしたらかぶるな」
いつも何かいろいろな思考がぐるぐる回って、正解は、間違いのない選択はどれかなどと考えてしまうのだ。
そして人生の選択レベルのことでも、私はよく考え込む。
かつて決断した進学先。
結婚。
就職や転職。
未だにこれで良かったのか、あのときこうしていれば良かったのではないか。
間違った決断をしてしまったのではないかと、後悔にも似た気持ちが押し寄せることがある。
正しい選択。
そんなものはあるのだろうか。
そんなとき、あの免税店の店員さんの言葉を思い出すのだ。
「What do you think?」
いつも人目を気にして、その時々の周囲の誰かにどうすれば認められ受け入れられるかを考えて生きてきた。
今もそのくせは抜けない。
文章を書いていても、常に不安がつきまとう。
「こんな文章書いて、誰が興味あるんだろう?」
「誰にも読まれないのではないか」
けれど、人の評価は本来関係ないのだ。
誰がどう思うかではなく自分が気に入ったものを手に入れて、身に着ける。
自分がどうしたいかを考える。
自分が何を伝えたいのかを考える。
自分が何を成しとげたいのかを考える。
そこに主眼を置く自分になっていきたい。
そう言い聞かせながら、日々自身に問いかけている。