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潮騒(しおさい) #シロクマ文芸部
読む時間
それは〝祈り〟に似ている
温かな場所で
守られた場所で
心地よい場所で待つ君に
僕の祈りが届いてくれればいいと思う
黄金の風に 稲穂が揺れた
言葉は高く舞い上がり
溶けていく
鰯雲の泳ぐ夕空の海に
風の歌が 騒いだ
潮騒(しおさい)―――
江井ヶ島(えいがしま)に帰ってきたのは10年ぶりくらいだろうか。
県道718号線に沿って広がっていた漁師町は、ファースト・フード・チェーンと、大型スーパー・マーケットと、似たような見た目をした建売住宅が建ち並ぶ、ありきたりな地方都市へと変わってしまっていた。
僕は、オンボロに乗り、夕暮れの中、すっかり様変わりした県道沿いの街を海に向かって走っていた。
FM802では、ラジオDJが次のリクエストを読み上げているところだった。
「……次のリクエスト、いってみようか。ラジオネーム[――ちゃん]からのメッセージだよ!」
DJさん、こんにちは。
初めてリクエストを送ります。
わたしは、今、病院にいて、治療を受けています。 治療というのは、がんについてです。
わたしのがんは、少し特別みたいで、抗がん剤も効かないし、放射線も効かないし、ホント、なにも効かないんです。
手術で取るにも身体の至る所に広がっていて、お医者さまも両親も、お手上げ状態(治療費だって信じられないくらい高額なのです)だったのですが、こちらの病院の院長先生がわたしの身体を研究に使ってくれるというので、ずっとお世話になっています。 だから、治療というのは少しばかり語弊(ごへい)があるのかもしれません。
わたしが受けているのは、延命治療です。 わたしが死ねば、わたしの中の〝特別ながん〟も、死んでしまう。 [わたしは・研究材料として・生かされいる]のです。
こんなことを公共の電波でいうと批判的な意見だって出てくるのかもしれませんね。 でも、わたしの話を聞いて下さい。
わたしは、今まで平凡な毎日を送っていました。 普通に学校に行って、普通に部活をして、そこそこの大学に入って、友達と遊んで、恋をして―――
とにかく普通の女の子だったんです。 それでいいと思っていました。普通に生きて、普通に死ねれば、って。 でもさ、その普通。
[誰が、支えてくれていたの?]
がんに侵されてから、そのことをすごく考えました。 普通に生きるわたしのためや、世界中の普通の誰かのために、きっと誰かが犠牲になってくれていたんだ、って。
だから、わたしの身体、いっぱい使ってほしいんです。 実際、わたしの身体には、生きるために必要ないくつかの器官が、もう、ありません。
研究のため、少しずつ、少しずつ、目減りしていく、わたしの身体。
わたしの身体を、使ってほしい。 いっぱい研究して、同じようにがんに苦しむ人たちに良い薬を作ってほしい。 お医者さまが良い手術ができるように、わたしの身体でたくさん練習してほしい。 頭の先からつま先まで、残さず誰かのために使ってほしい。 みんなに、わたしの分まで普通に生きてほしい。 いっぱい、いっぱい、恋してほしい―――
ってこれ、夕方のラジオに送る内容じゃないですよね。 ご不快になられた方がおられたら、ごめんなさい。 でも、誰かに聞いてほしかったんだと思います。 わたしは今、満ち足りているんだ、と。
リクエスト曲は、別れた彼に宛てたものです。 彼のオンボロ車で、地元の海岸を走りながら、二人でよく聴いていました。 わたしが恋をしたのは、生涯で、あなただけでした。
もう何年も連絡をとれていないけれど、きっとあなたは立派になって、かっこいい車で、きれいな奥さんを連れて、かわいいお子さんも一緒に、どこかの素敵な海岸を走りながら、このラジオを聞いてくれているのだと思います。
もしあなたが、この曲を聞いて、昔を思い出してくれたなら、もう一度だけ、お話をしてみたい。
こんなこというと笑われるのかもしれませんが、時々、たまらなく怖くなるんです。 右手がなくなって、両足がなくなって、片肺が、肝臓が、子宮が―――。 そうやって、全部なくなった後、わたしはどうなるのだろう、って。
図々しいのは、分かってる。でも、お願い。あなたに、もう一度だけ、逢いたい。
このまま消えてしまう前に
あなたに、逢いたい―――
僕は、海岸に着いた。
ここは、昔と変わりがなかった。
海岸の県道380号。頼りない電灯が疎らに立ち、砂浜にはゴミが埋まり、夜の波は、静かに静かに満ち寄せていた。
僕は、カー・ステレオのボリュームを上げた。車から降りてボンネットに腰掛けると、ラジオから流れてきたのは、君とよく聴いた、あのナンバー。
―――The Beatles
[Yellow Submarine](黄色い潜水艦)
僕の生まれた街に
一人の船乗りが住んでいた
彼は話してくれた
潜水艦の中の気ままな暮らしを
〝イエロー・サブマリン!〟
〝イエロー・サブマリン!〟
友達もみんな楽しく暮らしてる
バンドだって始めるさ
誰もがみんな、満ち足りて
〝僕らのイエロー・サブマリン!〟
……
……
Ringo の優しいボーカルが、潮騒(しおさい)に消えた。曲が終わったんだ。昔と変わらぬオンボロに乗る僕は、君がいうほど立派な大人になれなかった。
僕は、エンジンを切った。夜の海の音を聴くために。僕は思った。
もし、あの曲のように、誰もが潜水艦で暮らしていたら、って。
気ままの生活で、
誰もがみんな満ち足りて、
みんなが互いのことに無関心なら。
きっと、君が誰かの犠牲になって、切り刻まれることもなかったんだろう。
僕は、そうあってほしかった。
[おわり]