乞食の耳にイカを詰めて腐らせたもののような臭いのする足を持つ和尚の話 (九)
座敷に残されたすめるは腰掛に座ったままぼう然としていた。憐れんでいたはずの小間使いの女から、己こそが憐れまれる立場の人間だと教えられたからだ。それも言葉を話せぬ役立たずだと思っていた女から、罵声のように浴びせられたのだ。しかし、すめるとて何も考えていなかったわけではなかった。
「おれは間違っているのかもしれない」
そう思うことが、過去に何度かあった。しかし、歪んだ自尊心から嘲りや不当な扱いを己の徳が高いことを示す材料として自らが望んで選び取ったことだと自らに言い聞かせるようなっていた。
すめるは皆が言ってくれたあの言葉を思い出していた。
〝すめる和尚は徳が高うございますなあ〟
すめるは俯いて己の足をまじまじと見た。足を洗う途中でキノが出ていったものだから足はまだたらいの湯に浸かっていた。たらいの湯に浸かった足の間には、揺ら揺らと、今にも泣き出しそうな情けない顔が浮かんでいた。すめるは思った。
「おれは一体何の為にあの言葉を欲していたのだろうかのう」
すめるはたらいの中に浮かぶ自分に話しかけた。
「はじめはこうではなかったのだ。若い内は誰でも足を踏ん張り耐えなくてはならぬことがある。何も踏ん張り耐えて足が臭くなることが悪い訳ではない。ただ、おれの場合は、徳が高うございますねという言葉を求めるあまり、足の踏ん張りどころを見誤っていたのだ。つまりおれの足は臭くなり損だったのだ。キノに罵倒されたおれは、足を踏ん張り耐えるのは、他人の評価が欲しくてすることではないと知った。足を踏ん張り耐えるのは、己の為にすることだったのだ。頑張った証とは、足の臭さではなく、他者に評価されるものでもなく、己の内に宿るものだったのだ。キノが仕事を覚えず役立たずと馬鹿にされ、あまつさえ嫁入り前の身で男の足を洗うという屈辱的な仕事をしていることに、おれは憐れみの目を送っていた。だが、それはおれの見方が間違っていたからだ。キノは、他者の評価など決して求めてはいなかった。他者に評価されるためではなく、「したいことだけをする」という己の欲を突き通すため、己の人生をかけて獣のように気高く生きておったのじゃ」
そう言って、たらいの中の男に話し終えたすめるは、足を浸すたらいの湯が冷え始めていることに気が付いた。
温め直さなければ。
そう思ったすめるは、「―――湯を」と声を上げたが、たった一人きりの座敷の中では、その声は誰にも届かなかった。己の情けなさに少しだけ笑ったすめるは、冷めきったたらいの湯から足を出した。湯に写る情けない顔もいつの間にか消えていた。
すめるは思った。
いつぞやの頃。座敷に閉じ込められて久方ぶりに浴びた朝日に御仏の真理が満ちているように感じたが、あれは嘘だったようじゃのう。真理とは輝かしい陽の光に満ちるのではない。あの女の中におれの真理は宿っておったのだ。
すめるはやっと気付いたのだ。己の足が臭くなるほどに踏ん張り耐えてきたのは、ただ、誰かに認めて欲しかったからだということに。
「キノの言う通り、憐れな馬鹿はおれのほうだったというわけか」
そう呟いたすめるは足の臭いを嗅いでみた。
何故か足は、臭くない。
すめるは顔を上げ、座敷を見回した。座敷には新しい陽の光が差していた。
「朝だのう」
すめるは座敷にキノの髪の香りが漂っていることに気が付いた。
「おれの足の臭い頃には、一向に気が付かなんだな」
すめるは香りを追った。
座敷の片方開いた襖。キノが出ていったままの襖を越え、庭に降りたすめるは見た。
手前勝手な女。
朝日に照らされたキノの美しさを。
↓(後日談)へ続きます。