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乞食の耳にイカを詰めて腐らせたもののような臭いのする足を持つ和尚の話 (五)


 ある春の日のこと。

 寺に一通の書簡が届いた。それは、大納言である源光忠みなもとのみつただがすめるの徳の高さを一目見たいと仰られているので、これこれの日時に弾正台だんじょうだいにおわす光忠みつただ殿の屋敷にて花見を致しましょう、といった内容だったそうな。

 寺の者共は困り果てた。すめるは法要の一件からずっと奥座敷から出ていないからだ。寺の者共はすめるの足の臭いによって寺の威厳が損なわれることを酷く心配するようになっていた。寺の者共は如何なる法要にもすめるを出すことを許さず、食事も雪隠も座敷でするようにとすめるに命令していたのだ。

 これには流石のすめるとて怒らなかった訳はない。

 しかし実際すめるが奥座敷に閉じ込められてからというもの事情を知らぬ市井の者共は、

「己の足の臭いを慮って自ら身を引くとは、すめる和尚のなんと潔く徳の高いことよ」

 といった具合にすめるの評判が上がるものだから、すめるは憮然としながらも寺の者共の言う通り、座敷で感謝の経を読んだり、小間使いの女が熱い湯で足を洗ってくれるのをぼんやり眺めたりして過ごしていたのだった。

 すめるが座敷に閉じ込められて暫く経った頃のことだ。感謝の経を読んでいたすめるは風を入れようと少しだけ襖を開けてみた。隙間から境内の向こうを見やると参拝客で賑わう寺の様子がよく分かった。講堂は大きく建て直され、参道をゆく寺の者共は以前より上等な法衣を纏っていた。彼らの晴れやかな姿を見て、己の心がざわつくような気がしたすめるだったが、小間使いの女がやってくる気配に気付いて慌てて襖を閉めた。

 女が足を洗う準備をする中、すめるは思った。

「寺が繁盛するのも、講堂を建て直せたのも、お主らが晴れ晴れと笑うのも、全ておれのお陰ではないか。足の臭いおれが、感謝の念仏を上げるから、おれと寺の評判が上がっているのではないか」

 その日からすめるは襖を開けなくなった。そして奥座敷に閉じ込められていることに文句を言わなくなった。

 話を戻すが、弾正台だんじょうだいでの花見の誘いに寺の者共は困り果てていた。

 弾正台だんじょうだいといえば現代の警察庁のようなもの。仮に、嘘をついてすめるを匿えば狼藉御用ろうぜきごようは免れぬだろう。かと言って、すめるを座敷から出すことは寺の戒律で禁じられている。そこで寺の者共が集まって論議がなされることになったのだが、結局は「すめるを行かせるしかあるまい」と結論せざるを得なかった。こうしてすめるを閉じ込めていた奥座敷が数ヶ月ぶりに開け放たれたのだった。その臭いたるや。

 烏は鳴いて飛び去って、庭の梅木の雀はポトリと落ちた。講堂の縁側でポカポカ背を温めていた猫は思わず飛び上がって池に落ち、町の犬共は一晩中吠え立てた。

 このとんでもない臭いはすめるの足から発せられていたのだが、その中にあって、当の本人、足の臭いすめるの心は感謝で満ち溢れていた。久しぶりに浴びた陽の光に御仏の真理が満ちているような気がしたからだ。

「ありがたいことじゃ。世界がこれ程美しいとは、座敷に閉じ込められなんだら死ぬまで気付くことはなかった」
「涅槃の境地に達せられた御仏は、きっと斯様な景色をご覧になられていたに違いない」
「生きた身でありながらこの景色を拝めるとは、弾正台だんじょうだい光忠みつただ殿は誠に素晴らしき体験をくれたものだ」

 こうなったすめるの心には、もはや感謝の念しか浮かばなかった。

「南無阿弥―――」

 すめるが感謝の念仏を唱えだした時、彼の足の臭いに鼻を摘んでいた寺の者が一人ぴしゃりと言った。

「いちいち嫌味な方ですな。感謝の念仏などと徳が高いことを当てつけおって。さっさと出掛ける用意をしてくれますかな」

 すめるは突然の言葉にぎょっとした。そして、何か分からぬ言葉をゴニョゴニョと呟いて俯いた。

 そうして、すめるの足は増々臭くなったのだ。



↓(六)へ続きます。

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