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ポテトサラダには思ったよりマヨネーズがいる #シロクマ文芸部 #マフラーに


 マフラーにうずめた鼻先がグズンと鳴った。ああ泣いちゃったよ。悔しくてわたしは空を見上げた。大阪御堂筋みどうすじの夜空はキラキラのイルミネーションでペカペカ着飾られていた。

 もう一度、「泣いちゃったね」と胸の奥で言った。するとついに大粒の涙が溢れてきた。泣いちゃだめだ。こんなことで泣いちゃだめだ。負けるな負けるなあたし。ああ、でも泣いちゃってるな。

 キラキラ、シャンシャン。ペカペカの大阪御堂筋みどうすじ。イルミネーションはとても綺麗。それはまるでピカピカに磨いた宝石が入った木箱に蹴躓けっつまずいて、冬の空にぶちけてしまったみたいにとても綺麗。

 あまりにも綺麗だから一人泣いてる女なんか誰も気付きやしないとパーカーの袖でぐいんとほほを拭った。泣いてないからねって、そんな風に。わたしは「莫迦ばかもう遅いっつの」と一人で突っ込みを入れつつグズグズの鼻先をもう一度マフラーにうずめた。

 帰ろう。
 誰も待っていないアパートに。
 うじうじ振り返るのはもう止めだ。
 泣いたらお腹が減ってきたし。
 お腹だって言ってるし。
 「ポテトサラダ食べたいな」って。

 アパートに帰ると重い買い物袋の中身をテーブルに広げた。

 ポテト、玉ねぎ、人参にキュウリ。ハムにタマゴとその他もろもろ。それとキューピーマヨネーズが二本。マヨは沢山たくさん入れたいのだ。だってらかったら切ないでしょ。わたしはしばらく使っていなかった包丁とまな板を出してみた。包丁とまな板は言った。
 
「やあ久しぶりだね」
「うん」
「もういいのかい?」
「ええ、またよろしくね」
「そうかい。今までよく頑張ったね」

 不意に一番欲しかった言葉を掛けられて泣きそうになった。いいやつじゃねえか。ありがとう。今までごめん、大切に使うね。

 ポテトをたわしで洗って泥を落とした。小鍋に水を張りポテトをがく準備をした。「久しぶりで腕が鳴るよ」と、ガスコンロが「かちちち」と火花を散らした。

「あなたの腕はそこなんだ」
「ああそうさ」
「ポテトをがきたいの」
「知ってるさ」
「ずっとつらかったの」
「それも知ってるさ。でも大丈夫」
「なぜ?」
「僕が・ポテトを・がくからさ」

 「どゆこと?」と思いながらわたしは玉ねぎ、人参、キュウリを薄切りにした。ハムは1cm角に切った。水を張ったボウルに玉ねぎを放った。ボウルの冷たい水の中で玉ねぎが広がった。

「放ったらかしてごめんね」
「僕のほうこそ」
「あなたは悪くないわ」
「いや、きみのつらさを僕は知っていた。でも僕は出なかった。それは僕の責任なんだ」

 「……ボウルのあなたは手も足も出ないじゃない」と言おうとして止めた。わたしはボウルから玉ねぎを取り出してキュウリを塩もみした。キュウリを揉むたびボウルがきゅうきゅう鳴った。「済まなかったね」と。やめてよ、泣いちゃうじゃない。

 ポテトががき上がった。わたしは「熱ちち」と言いながら皮を剥いた。丸裸まるはだかの熱々のポテトをボウルに入れた。マッシャーが言った。

「思いっきりやりな」
「ええ」
「遠慮はするな」
「ええ」
「殴りつけるくらい、潰せ」
「わかってるわよ!」

 マッシャーで必死にポテトを潰してたら泣けてきた。「……きみは間違っていない」マッシャーがそっと言ってくれた。

 茹で玉子の殻を剥いて包丁で荒く刻んだ。ボウルに全ての具材を入れてキューピーマヨネーズを一本全部と芥子からしを入れた。冷蔵庫に余っていたラッキョとアンチョビも刻んで入れた。具材を混ぜていると胸に溜まったもやが晴れていくような気がした。

 「そういえば」と彼が置いていったサッポロが残っているのを思い出した。がちゃこん、とわたしは冷蔵庫を開けた。取り残されたサッポロを眺めながら「あたしを捨てんなら私物も捨ててけバカ野郎ー」と過去のあれこれを逡巡しゅんじゅんしていたら開けっ放しの冷蔵庫がブイーンと言った。

「忘れろよ」
「忘れたいよ」
「未練たらたらに見えるがね」
「その言い方。冷たいもんね」
「そんなもんさ」
「ふん。クールじゃないか」
「冷凍庫も、あるからね」
「あたしが重いっての?」
「そうじゃない。きみは素敵だ。もうあんなやつに大切なきみの時間を使うな」

 わたしは「……うん」と言って冷え過ぎたサッポロを取り出して冷蔵庫を閉めた。

 ポテトサラダを器に盛った。
 サッポロのタブをプシュっと開けた。
 ポテトサラダを一口いれると、口の中に幸せが広がった。

 テーブルについてマヨネーズと玉子たっぷりのポテトサラダを夢中で頬張っていたら、さっきまで泣いていたのが莫迦々々ばかばかしくなった。でもそれでも、「明日からも頑張るか!」なんて前向きな気持ちにはなれなかったけれど。

 お腹が落ち着いたわたしは後ろを振り返った。そこにはぐちゃぐちゃんに散らかった台所と空のキューピーマヨネーズが一本転がっていた。長い溜息。そしてわたしは顔を上げた。

「でもせめて」

 後ろでわたしを応援している洗い物たちの前では、せめて元気な姿でいたいと思った。

「元気づけてくれて、ありがとう」

 少し笑顔が戻ったわたしは立ち上がって深夜の台所仕事のためにそでまくった。




【おわり】
#シロクマ文芸部
#マフラーに
 

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