成りたがりの瑠璃鯨 #逃げる夢 (3226字)
逃げる夢だった。
腹の孔から血が流れていた。なにかに追われ、必死に逃げる夢だった。悪いことをした気がした。多分、報復を受けたのだ。この腹の痛みは、誰かの復讐の火が燃えたのだ。
わたしは目を閉じた。
眠れば、夢から醒める気がしたからだ。希望とは裏腹に、夢は醒めなかった。わたしは言った。
こんな夢をみました―――
〚こんな夢をみました〛
あるカタマリが、血を垂らしながら重力の坩堝へ深々沈んでゆくのです。友の愛する人を奪った宇宙クジラの罪は、遂に赦されなかったようです。
星のまにまに滲む血痕は、固く熱い棘が突き破る子宮に辿り着きます。
これは、罰です。
暗い重力の底で蠢く蟹たちが私の死体を愛してくれています。柘榴のように肉が裂け、蟹が愛した骨を底に遺して、女の体は暗い幸福を感じ浮上します。
熟し腐る身体が腐爛気で浮腫み、派手に爆ぜる瞬間、背の穴から高く吹き上げる潮を感じました。
こんな夢をみました―――
A『なにか勘違いをされていますか。夢とは、頭と身体の間で揺れる生理反応。女の生理もいずれ止まる。素直に発情すれば良いのです。』
「うふふ。何処かの自然学者のよう。」
B『夢は不条理かと。麗しき竹姫を夜な夜な犯す淫らな悪霊がその正体。今宵、伽が要りましょうや。共に蔀を閉めましょうや。』
「蔀を閉めたくば、そこにぶら下がっている玉枝を切ってよこせ。二度も偽ったお前が嫌いじゃ。」
C『恐れながら、夢とは心の働き。望みの代弁者。きっと、そなたが望みであられましょう。』
「小賢しい精神分析などしおって。私が抑圧されているというのか。愚弄するにも程がある。お前が一番、嫌いじゃ。」
D『なっちゃいない。全然、なっちゃいないんだ。夢は無意識の心的過程の描写。〚 兎に角・理解しようなどと・思わないように 〛。全く、言い得て妙。』
「……理解せずして、どうして添え遂げられよう。阿呆め。」
E『諸兄らと異なるのは全ての幸福にフォーカスしておること。夢とは―――』
「つかれた。詰まらぬ話はもう聞かぬ。帰れ。」
E『……』
男たちが帰ってゆく。竹姫は月のものの迎えが恋しいのです。わたしは我に返ります。はて。ここは何処だ。ここはわたしの家じゃない。虫に噛まれた手の甲を抓るが痛みはない。
あぁ。まだ鯨の夢か。
心配事の多い秋の夜。
秋色のリップは足りてるか。フリル・スカートは。チェックのタイツは。シルエットにトレンドが反映される。あの月の凹みような、クキ クキ ッ …としたデティールで、秋の大人を偽りたい。
京都御所の鈴虫は、乞食の格好の獲物。瑠璃色の鈴を鳴らすLow-Eグラスの蔀を締め、寝殿造りの奥底へ。硬く冷たい布団もいずれ温まる。熱いチョコ牛乳を飲んだお陰で眠れぬ私は、Lenovoのタブレットでユニクロオンラインを開き、Awesome City ClubのPORINちゃんが着るMA-1を注文した。
― ピンポーン ―
ユニクロか? いや、幾ら難でも早過ぎる。さては先程の蟹ども。薄っぺらな言葉でなく、寝込みを襲う算段か。見上げた度胸。その下腹の脂肪を絞り取り、灯火の足しにしてやろう。
暫くして、男どもに磨かせた床を キシ キシ 鳴らし、着物のスリットから艶めかしい白い脚を覗かせた女が、一人玄関に立っていた。はだけた胸元からこぼれた乳房。リップと眉マスカラを薄く施した女。
男は言った。
A「田圃に、届いたね」
女「どうして解る」
A「だって、鷺が鳴くじゃないか」
女は帯を緩めた。男を迎える気なのだ。腿を伝う雫を吸い、腐った木の床を メリ メリ 割りながら現れた竹の棘。柔らかい女の指が小さな蕊を撫で、歓喜に震えて、ぶるりっ…と果てたその先の穴からはモロ モロの木屑と一緒に 緑の虫が ズルリ と抜けた。
― ピンポーン ―
私は、インターホンで目を醒ました。棘は消えていた。蟹どもに磨かせた キシ キシ と鳴る腐った床も。身体が数cmフローリングから浮いているようだった。これは、夢だ。と、私は思う。でも、おかしい。手の甲を抓るとちゃんと痛い。此処は何処だ。夢なら覚めてくれ。
― PINNPO-NN ―
PORINちゃんのMA−1か?
不在連絡票がこの世で一番嫌いな私は、はだけた胸元のままシャチハタ片手に覗き穴に顔をつけると、そこには黒い猫がオスワリしています。私の身体は、勝手にオートロックを解錠し始めます。
「こんな夢を見ました」
と、私が言うと、
「可哀想に。莫迦なのですね。」
と、嗤う月のような表情で、素敵な女性から美しい蔑みを頂きました。私は、まだ、夢から醒めてはいけないようです。
この聡明な女性は、一度、私の物語に出て下さいました。
ここに来て間もない頃の話です。あるイベントでお見掛けし、乱歩と夢野がお好きと耳にしました。「私も、好きです」と、言いたかったのですが、話しかけるなど、分不相応な気がして。
正直に申し上げますと、怖かったのです。憧れのままいてほしい、そう期待していました。だから、「私も、そのイベントに、参加します」と告げたとき、堪え性のない自分のことがまた嫌いになりました。自分の本当の感情がよくわからないのです。
言ってしまったからには書かなくてはなりません。書く作業は何時だって苦ではありませんが、書いた後、貴女が何を言ってくれるのか。すごく不安だったことを覚えています。
あの時、貴女が、少しでもお気に召してくれたのなら、私は本望です。
物語をアップロードした日、私は近所の花屋でカーネーションを一輪買いました。
― ぴんぽーん ―
カーネーションがこの世で一番嫌いな私は、はだけた胸元のままシャチハタ片手に覗き穴に顔をつけると、そこには黒猫が歩いています。
私の身体は、勝手にオートロックを解錠し始めます。
「どうか助けて下さい。夢が醒めません」
と、私が言うと、
「可哀想に。莫迦なのですね。」
と、美しい罵倒を頂きました。
目が醒めた私は、机の上のカーネーションがなくなっているのに気づきます。あぁ。あの方も、カーネーションが嫌いなのだな。嬉しくなった私は、手を抓りますが、痛くはありません。
― ピン ポー ン ―
今度は、オートロックが勝手に開けられました。
嗤う月が言う。
「花の命は短い。透明レジンで封入しました。あなた、カーネーションが好きなんでしょう?」
〚はい・とても・好きです〛
嘘をつき、わたしは自分の手を抓った。刺激が受容器の閾値を超えるのを感じた私は安心して布団に入りました。
うふふ。
次は、どの方になってやろう。
心配事の多い秋の夜。蔀を閉じた御所の奥。人の真似して欲求不満を発散する私。
秋色のチークは足りてるか。ピタッっとしたニットは必要か。PORINちゃんのMA-1はいつ届くのか。蟹たちは愛してくれているか。女は枯れていないか。潮はまだ高く吹き上げれるのか。
ぽっかり空いた腹の孔からは、少しだけ栗の花の匂いが漂っています。中身は食べました。美味しかったです。
朝、目が覚めた私は、隣で寝ている男の人を起こして言いました。
「こんな夢を見ました」
不思議なことに、手を抓っても痛くありません。ああ。まだ夢なのだな。
私は瑠璃色の娘。
成りたがりの、瑠璃鯨です。
[おわり]
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